2017年05月21日

サイトのメンテナンス

気づいた時には、チョコチョコとしてはいるのですが、動画のリンク切れに目立つものがあり、修正しておきました。

リーベンクイズ (2016年5月4日)

南京事件 2 (2016年5月9日)

南京事件 1」の南京大虐殺を実行した元兵士の証言動画はひとつ削除されおり、リンク切れのままにしてあります。

探しても見つかりませんでした。

神道のしている、いつもの証拠隠滅でしょう。

証拠隠滅は神道のお家芸ですからね。

戦後、マッカーサーが来日するまでのわずかな期間で、ほとんどの戦争犯罪の証拠資料を国家ぐるみで焼却していたやからです。

国家犯罪を犯していたという自覚があったわけです。

皇軍の証拠資料隠滅は有名ですからね。

ちなみに証拠隠滅は、れっきとした犯罪です。

敗戦直後、機密文書を焼却

終戦時の証拠隠滅

敗戦時の文書焼却・隠蔽

いくらでも出てきます。

有名ですからね。

マッカーサーがくるまで三日三晩、証拠を焼き続けたと言います。

そのような行為を迷いなく行える皇軍が、真っ当な軍隊であったわけありません。

本人らも悪いことをしていたという自覚があったわけです。

しかして証拠が「みつかったらまずい」、と。

まさに犯罪者共の発想です。

でも証拠がなければ裁かれず、しらを切り通せると思っておりますので証拠には実に敏感です。

証拠さえなければ、どんな犯罪でも犯せると思っているのです。

とても霊天上界の諸霊とは思えない。

神の光の快楽は、神御自身も有限の範囲で認めておられますので天界にいるわけです。

犯罪者タイプの人間は、必ず利益的であり、この世の犯罪者は利益と快楽で犯罪を犯しますが、あの世では神の光の快楽で犯罪を犯します。

神の光に巣食っているということは、未熟な霊系団だということです。

神の心が善、神の光が悪、神の心が原因(神の心)、神の光がその結果(神の体)です。

神の光が悪だという基本的な神理を、未だ悟っていない未熟な霊団です。

光一元思想というその名前に出ています。

だから表面の美辞麗句で糊塗しようとする。

でもそういった霊系統なんで、私はもう慣れました。

青い空が、黒い煙で覆われるほどの証拠隠滅をしていた。

森友でもプチ証拠隠滅をしています。

証拠がなければどんな犯罪でも犯しますが、ばれる時があるのですね。

ブラックタイディングスの秘密口座のようにね。

ばれないと思っていたのに、ばれたわけです。

まだばれていないところで、どんな犯罪を犯していることやら。

明日は「人質救出の決行日」だそうで、どうなるでしょうか。


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2017年05月20日

GLAと幸福の科学 10

俗によく「救世の母体」と言われますが、その意味をGLAも幸福の科学も十分理解していなかったように思います。

前世代の如来はこの点も説いておられるのですが、大雑把に説かれているために理解できていなかったのかもしれません。

あるいは過去に出られた如来の思想を十分勉強していなかったとも言えます。

如来は、普遍的意識そのものの霊的実体であるため東洋、西洋の相違はありません。

西洋に出た如来も東洋に出た如来も個性のフィルターの相違はありますが、その悟りはすべて共通した理念をもっています。

神の思想レベル」の3つの特徴は、既に「Creator's Report 1」で説いておりますので繰り返しません。

このレベルに達していない者は如来とは言えない。

西洋ならばヘーゲルやゲーテ、あるいはエマソンやスウェーデンボルグ、東洋では西田幾多郎や高橋信次は、この共通の如来の理念を悟っておりました。

近代のここ200年を捉えても世界で「神の思想レベル」に到達していた者は、6、7人ほどしかいないのです。

おかしいでしょ?

日本では20万団体の宗教団体があり、20万人の教祖がいるわけです。

しかしてただの一人も「神の思想レベル」に到達している教祖はいないのです。

悟っていないのに悟っている振りをすれば、これは詐欺師です。

だから宗教家は詐欺罪を犯していると諸神霊が誰か言っていましたね。

あのカントですら生前は「神の思想レベル」に到達できていなかったのです。

ハイデッガーも如来ですが、到達していませんでした。

ジョン・ロックも如来ですが、同じく到達していません。

いくら霊格が如来であるからと言って「神の思想」を悟れる保証などどこにもないわけです。

ドイツ観念論を完成させたヘーゲルは明確に「神の思想」を悟っておりましたし、エマソンも悟っていました。

キリスト教に多少偏っていた側面はありますが、スウェーデンボルグも悟っておりましたし、ゲーテも悟っておりました。

欧米でもここ200年を見ますと「神の思想レベル」に到達できていた者は、この4人しかいないのです。

20万人もいるわけない。

だから神の名を騙って詐欺罪を犯していると言われている。

単なる自己都合の頭で考えた思想を述べているだけですから、みだりに神の名を語らないように。

話がそれました。

救世の母体」とは、まさに宇宙論そのものであり、これを悟っていなければ、大抵道を逸れます。

前世代の大如来である高橋信次氏は、どう説いていたか見てみましょう。

ただ彼は少し大雑把ですからね。

分かりにくいかもしれない。

宗教団体ではよくありますが、初めは純粋に神のためにやっているから良い神理を説いたりします。

そして良い神理を説けば、その影として人・物・金・偉いが段々集まってくる。

するとぼちぼち始まるわけですね。

目が外に向いてくる。

物に対する執着が出てくる。

そうなると次第にむさぼりの心から信者を犠牲にし始める、これもまた危険なことです。


1986年、1987年、1988年と初めは神のために純粋にやっておりますから良い神理が説けたりする。

あまり影として人・物・金が集まっていないからですね。

だから執着することもない。

執着しようにも、するほどの人・物・金が初めは集まっていないからです。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体である : 高橋信次

生命と物質は一つであり、切れません。

生命即物質で大宇宙です。

生命が神理であり、物質が利益です。

生命が神の心であり、物質は神の体であり、神理の影です。

神理を説きますとこれを原因として結果、神理の影、いわゆる御利益が出てきます。

宇宙論は永遠にそうなっているのです。

だから神理を悟れば、これを原因として結果、地獄界の解消という利益、飢餓の消滅という利益、非暴力という利益、世界平和という利益、人種差別撤廃という利益、繁栄という利益が現象化してくるのです。

影があらわれてくるわけです。

この姿を俗に「神の繁栄」と言い、大宇宙そのものが永遠の神の繁栄の姿です。

どのような神理を悟っても世界平和の利益があらわれない、人種差別撤廃の利益があらわれない、地獄界消滅の利益があらわれないのでは、神の心が「絶望」となってしまいます。

どんなに神の心を悟っても世界平和があらわれないのでしょう?

どんなに神の心を悟っても、非暴力の世界があらわれないわけでしょう?

どんなに神の心を悟っても、富の繁栄もなく、地獄界も消滅しないでは、神理を悟ってもしようがないでしょう。

だって神の心を悟っても地獄界は消滅せず、世界平和もあらわれず、人種差別もなくならないわけでしょう?

ならば神の心は「絶望」でしかありません。

苦労して悟っても無駄です。

金と国益という悪を目的とし、追っていた方が無難です。

ところが神御自身は大宇宙の構造と仕組みをそう作ってはいない。

大宇宙の存在そのものが「希望」となるように創造されています。

生命と物質は一つであり、この構造と仕組みそのもの、すなわち大宇宙の存在(神の存在)そのものが「希望」となっているのです。

神理を悟って各人が向上していけば、その国家や文明は富の繁栄も現象化してきて先進国と言われるような文明になるのです。

そういう仕組みになっているのです。

生命(神の心・正義)と物質(神の体・利益)は永遠に一つです。

切れないのです。

切れば「神の繁栄」は永遠にあらわれません。

これを切っているのが神道です。

だから大宇宙は永遠の「希望」となっている。

幸福の科学も初めは純粋に神のためにやっておりましたから諸神霊からも啓示を受けられておりました。

初めは良い神理を出しておりましたし、出ていました。

ところが1989年ぐらいになりますと「神理の影」として莫大な人・物・金が集まってきます。

生命即物質で神理の影があらわれてくるわけです。

するとぼちぼち始まるわけですね。

目が外に向いてくる、物に対する執着が出てくる。

物質的に大豪邸に住むとか住まないとか、莫大な富を持つとか持たないとか、外界の在り方はどうでもいいのです。

外界は影ですから、神理を説いていけば、その質に比例した利益が出てきますし、これを否定してはいけない。

それは神理を悟って向上した時、これを原因として結果でてくる地獄界の消滅という利益を否定してはいけないのと同じです。

出てくることが希望になっておりますし、そういった構造になっています。

外界のその利益、大豪邸だの莫大な資産だの形式的にはもっていいというか持たなければならないわけですが、しかして心で絶対に持ってはいけないのです。

地面に写っている影を手で持てますか?

ところが素人は心で簡単にそれを持ってしまうのです。

これも神の奥義の一つと言っても差し支えありませんが、悟りの低い者はこの時、物質から批難します。

物しか分からないからです。

神の心を説いている者が、お金儲けをやっている、金をもっている、大豪邸に住んでいると物質的側面から非難します。

もっと貧しく貧相に、清貧で生きろと強要するわけです。

これを悟り不足と言う。

だから悟りの低い人達の特徴は、アッシジの聖フランチェスコのように清貧を気取り、神の心を悟っていない事実を暴露することになる。

清貧の思想は、まだ物に捉われている思想であり、物を基準に物を減らし、物で貧しくなっていこうとする思想である。

彼らは物質を減らし、減少させ、貧しく見せることによって欲深ではない自分を誇示し、虚栄にふけっている。

肉体の欲望が悪であると誤った認識の中に生き、神の目ではなく、人の目にきれいに見せようと虚飾にふけっている。

そして人の眼に善人に見せるために物を減らしていくわけであるが、決して捨てられない物に気づき、その時に初めてその誤りと矛盾に気づく。

その決して捨てられない物とは、肉体である。

清貧の思想とは、まだ肉体と物に捉われた思想であり、神理にあらず。

神道が大抵これですが、神理で金をとってはいけないと逆の心を盲信しています。

逆です。

神理を悟っている者だけが金儲けをしていいのです。

神理を何も悟っていないということは、人間としての義務を初めから放棄しているということであり、そういった者ほど金儲けをしてはいけないのです。

だから世界は腐敗し、半分もの人間が地獄に堕ちている。

何故、している?

神の善を何も語れない、悟っていない者は本来、水を飲んでもいけないし、食べ物を食べてもいけない。

空気を吸ってもいけない。

神の心を悟っている者だけが金儲けをしていいし、大豪邸に住んでもいいし、莫大な資産をもってもいいのです。

善人が持ったって、そんな悪さはしません。

神の心を旨としている者だけが、莫大な資産や大豪邸に住んでいいのですね。

水を飲んでいいし、空気を吸っていい、食べ物を食べていいのです。

大衆への迎合から今まで神の心と逆の心を説いてきました。

神理で金儲けをしてはいけないと逆を説いてきたのです。

神理を何も悟っていない者だけが金儲けをしろ、と。

そりゃ腐るに決まっています。

ただこの時、神理の使徒でも外界的には良いのですが、心で決して莫大な資産、大豪邸をもってはいけないのです。

物質や利益は影であり、心で握ってはならないものです。

莫大な資産が出てきた時、それを心で握るのが神理の素人であり、心でそれを決して握らないのが神理のプロです。

大抵できませんけどね。

大抵、心で思いっきり握ってしまうのです。

大抵はそうです。

大豪邸であろうが、莫大な資産であろうが、心で持ってはいけないのです。

形ではもたねばならず、その形でもっている状態のまま心で持ってはいけない。

心で物質を「」に置いてはいけない。

これができるのが神理のプロです。

幸福の科学は、心で握ってしまいました。

神理の影は、握ってはいけないと説かれては来ているのですが、握ってしまいました。

以後、すべて物質が「」に置かれています。

紙幅の関係でここで切ります。

救世の母体」とは何かというのは、今後の使徒にとっても重要な問題です。

以後の歴史で同じ間違いを犯さないように正確を帰しておきたいと思っています。


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2017年05月18日

菩薩の悟り 3

すべての善の源は「神の心(生命)」であり、すべての悪の源は「神の体(物質)」である。

すべての悪の源である「神の体(物質)」は、すべての善の源である「神の心(生命)」の表現体、善悪不二であり、大宇宙(神の存在)は、神の一大倫理表現である。

すべての善を知るとは「神の心」を知るということであり、すべての悪を知るとは「神の体」を知るということである。

すべての善を知り、すべての悪を知るとは大宇宙(神の存在)を知るということであり、真正の自己を知るとは、大宇宙を知るということである。

今後の歴史は、神の如く善悪を知らん人間の創造の歴史となる。

ゼウス神主導のマリンブルーは今後、神の心と神の体、生命と物質、すなわち大宇宙(神の存在)そのものの探究に入る。

大宇宙の探究とは、すなわち神理の探究ということです。

歴史と共に神の善悪と御心は正確さを増していくであろう。

現時点で読み取れない神の御心も未来では読み取られていくであろう。

人類の霊的進化は、神の心の解明によって促進されていくであろう。

自己の生命の中にも神の存在はあり、他者の生命の中にも神の存在はある。

大如来の生命の本質にも神の存在はあり、大魔王の生命の本質にも同一の神の存在は在る。

大魔王即大如来であり、神故に天界・現界・地獄界の三千世界の住人は、永遠に平等であり、自他一体である。

自己の生命の本質である「神の心」が、自己を直に客体化した世界が眼前の大宇宙である。

自己を知るとは大宇宙を知るということであり、大宇宙を知るとは、神の如く善悪を知るということだ。

この自他一体の神の存在、いわゆる大宇宙の絶対的権威、つまり神の権威を確立する道が三千世界の改造の道である。

具体的には、民主主義の進化理論「神約民主論」を通して、この大宇宙の絶対的権威を確立していくこと。

これが救世の法の柱の一つである。

神において人類は、永遠に一つであるということだ。

この一つの存在の権威を確立するだけで、まず政治が変わり、経済も変わる、教育も変わり、法律も変わる、科学も変わり、学問も変わる、医学も変わり、宗教すら変わる。

外界のすべてが変わる。

心が変わるために動植物の生態系まで変わり、大地と海、大気と虫けらまで変わる。

庭先にいる蟻んこ一匹までも救う法、これを「救世の法」と言う。

人類の価値観、人生観、世界観、そのすべての内面も変わり、外面も変わる。

そして神の意図通り変わったこの世の仏国土を通して、次に地獄界の在り方が根源から変わり、霊天上界の在り方も根源から変わる。

地獄界に堕ちる者が激減し、たとえ堕ちたとしても早急に抜けられるために地獄界の在り方が根源から変わります。

また低い霊域では、まだ哲学や世界の仕組み、宗教や神の心はよく分かっていないわけであるが、この世の仏国土を通して、それを学んであの世に帰天するわけであるから、霊天上界を飛躍的に進化させていく。

神において三千世界の霊人は永遠に一つであるが、この一つの権威を確立するだけで天界・現界・地獄界の三千世界のすべてが根源から変わることになる。

これを具体的に実現していく政治体制が「神約民主論」ということです。

一つの権威とは、神の権威であり、この確立が三千世界の根源的改造の神理です。

「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」: ヨハネの黙示録21-5

こうしてヨハネの黙示録の預言は成就していくことになる。

一つの神の権威の確立、それだけで天界・現界・地獄界の三千世界のすべてが新たになる。

神において人類は永遠に一つであり、この一つの神の権威を正当に実現していくだけですべてが変わるということです。

ゼウス神主導で他の諸神霊のご協力を得ながら実現していく救世の法の一つがこの「三千世界の根源的改造」です。

今一つは、高橋信次ー大川隆法ラインで意図していた「仏陀の大法」、この二つが今回の救世の法の核です。

仏陀の大法」もそれは凄い法ですが、本人がビジネスやっとるから。

仏陀の大法」は、霊格にあぐらをかいているようでは悟れない。

偉大な方であることは知っておりますけれども、求道心を最大限に研ぎ澄まして努力しなければ、あの高度な「仏陀の大法」は悟れない。

私でもまだ60%ぐらいしか理解していない。

神理の道は、けわしく、遠い。

菩薩の悟りは、自他一体を十分悟れておらず、だからこそそれがそのまま宇宙即我を悟れず、同時に天地一体を悟れない原因になっている。

矛盾と対立の抜け方に限界があるのです。

如来は原則、矛盾と対立を無限に抜けられますが、菩薩は良くても有限の範囲でしか抜けられない。

この地球では、大雑把に言って政治体制は2種類あり、一つは民主主義、二つ目は社会主義、この二つがあります。

これはどちらも菩薩が作った政治体制であり、菩薩は方便の善しか説けませんので具体的に菩薩の悟りの限界がでた政治体制になっています。

民主主義も社会主義も、すなわち方便の善です。

本来、無限化していいものではない。

それを無限化しているから世界は腐敗しているとも言える。

神への信仰と悟りによって国民各個人が霊的に進化向上した時、これを原因(神の心)として結果(神の体)あらわれる利益が民衆のためという「結果(物質・神の体)」です。

民衆のためという結果に比喩した善、利益に比喩した善、すなわち民主主義は方便の善です。

人類各個人の霊的進化もなく、向上もないのに民衆のためという結果などあらわれようがない。

霊的に進化向上した時、これを原因としてあらわれる物質を御利益と言いますが、この物質が政治体制の本質となっている。

だから民主主義の本質は、誰でも言論の自由が欲しい、誰でも不当な権力で身体を拘束されたくない、誰でも表現の自由が欲しいという、この「誰でも」という人民共通の利益に基づいた国家契約となっています。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体です。

宇宙も自然界もその本質は永遠に「神の心」なわけですが、我々の文明の本質は「神の体」、すなわち「利益」になっており、自然界の本質と文明の本質が分かれているわけです。

宇宙と文明、自然界と文明がその根源から分離している。

すなわち宇宙即我、自然即我ではない。

両者が分離しているのです。

これが菩薩の悟りなのです。

菩薩の悟りは、このように宇宙と文明、自然界と文明が分かれている悟りを説くのです。

もちろん菩薩ですから悪気はないのですが、悲しいかなこれが霊格と言われる神の評価であり、この宇宙と文明、自然界と文明が分離した悟りは、神の心から少し遠いわけです。

だから菩薩界は如来界より下に置かれている。

社会主義も唯物論と言われ、単なるタダ物論ではありませんけれども、やはり物質に比喩した善、自我に比喩した善、つまり方便になっている。

マルクスも菩薩です。

しかして自然界は永遠に神の心がその本質にありますので唯物論、物質を政治体制の根底に置きますと、やはり自然界と分離した文明となるのですね。

民主主義の本質は「利益」ですが、自然界の本質は「神の心」です。

社会主義の本質は「物質」ですが、自然界の本質は永遠に「神の心」です。

民主主義と自然界、社会主義と自然界、人間と神が、その本質で分かれているのです。

宇宙即我ではないわけです。

菩薩が宇宙即我を悟れていないというのは、こういう意味です。

方便の善だけならば、神と人類、大宇宙と人類、自然界と人類が分かれてしまい、神と切られた文明になります。

すると我々とその文明は悪となる。

民主主義も利益を中核に置いておりますので神の体を「」に置いている。

社会主義も同様に物質という神の体を「」に置いているわけです。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体です。

この大宇宙では永遠に神の心が「」であり、神の体は「」なのです。

この「」である物質と利益を「」に置いているわけです。

故に本来、民主主義も社会主義も神御自身の目から見ますと許されない政治体制なのです。

有限の範囲でやっている分には悪とはならないわけですが、科学の方が発達しており、地球単位になって方便の善も無限化してしまっている。

宇宙即我を悟れていないということは、同時に天地一体も悟れていないという事実は分かると思う。

自我に比喩した善、利益に比喩した善、物質に比喩した善、すなわち方便の善は、どうしても利益と物質を中心に置いて自然界と分離してしまい、同時にそれが天地一体の構造と仕組みに反するものになってしまう。

ただ悪気はなくとも人類に物質や利益を拝ませますと、世界は必ず腐敗していきます。

悟り不足が、世界の腐敗と直結している。

だから今回は菩薩が全面に出てきてはいけないわけですね。

如来の法を全面に出していかなければならない。

民主主義や社会主義を見れば分かるように、どうしても菩薩の悟りは天地を切り、宇宙と我、自然界と我を分離してしまうのです。

これが宇宙即我と天地一体を悟りたる如来とそうでない菩薩の悟りの決定的な差であるということです。

神約民主論」は、宇宙即我の政治体制であり、文明の本質にも人生の意義としての「神の存在」を置いておりますので自然界の本質と一致してます。(宇宙即我・自然即我

人生の意義」が政治体制の本質ですから、「人生の意義」である神の存在が「」に置かれ、自然界の本質とも一致してくるわけです。(天地一体

人民共通の利益に基づいた国家契約」である民主主義から「人民共通の人生の意義に基づいた国家契約」である神約民主論国家の実現が、仏国土顕現ということです。

物質と利益を「」に置くとは、相対的なものを絶対化しておりますので「神への傲慢」と言えます。

しかしてこの傲慢も、悪意の傲慢ではなく、善意の傲慢、すなわち悟り不足から生じている傲慢です。

菩薩の悟りには、その方便の善しか悟れない善意の傲慢があり、だからこそ本来は無限化していい悟りではないわけですね。

悪意の傲慢であろうが、善意の傲慢であろうが、どちらにしろ神の体を最上位に置いている点に相違ありませんから、それだけですとどうしても世界の構造と仕組みと反しておりますので世界は腐敗せざるを得なくなる。

物質宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である : 西田幾多郎

永遠に神の心が「」であり、神の体は「」で天地一体です。

生命が「」であり、物質は「」で天地一体です。

この大宇宙の構造と仕組み通りの文明を創造していかなければならないわけです。

これを仏国土と言う。

この題は、恐らくもう一回続きます。


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