2017年03月12日

仏国土は天地を超える

天に父の御心成れるがごとく地にも成らせたまえ。: イエス

かつてこれは方便の善と指摘しておきましたが、それは天界と地獄界を自我で切って天界のみを見て語っている言葉だからです。

幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界と多にして一、一にして多、平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具している世界です。

平等即差別、一即多、多即一の実在世界が霊天上界です。

幽界から宇宙界に至るまですべての霊人は、全く同一の神の心を宿している点、完全に平等であり、一で結ばれている。

しかしてこの平等にして一なる神の心に向かう各人の努力も、また神の心を基準に公平に評価されて行くべき世界が決まる。

ある者は霊界へ、ある者は神界へ、ある者は菩薩界へと帰天する。

これは神の心を基準にはかられている。

この世のように神の体(利益・国益)によって決まっている世界ではない。

すなわち神の体への信仰によってあの世の「天」とこの世の「地」が分かれている。

これがこの世の不幸の最大の原因。

多次元世界のあの世は、幽界から宇宙界に至るまですべての霊人は幸福であるが、この点を見てイエスは、「天に父の御心成れるがごとく地にも成らせたまえ」と言っていた。

ところがあの世の低位霊界である幽界の下半分には地獄界が形成されている。

天に父の御心は成っていない。

天に父の御心成れるがごとくに成っている世界とは、多次元世界に一つも地獄界が存在していない世界です。

これが神の御心が成っている世界、つまり神の国であり、仏国土です。

イエスは天上界と地獄界を切って、この天上界だけを見て天に父の御心が成っていると捉えていた。

だからキリスト教の教義では、決して神の国はあらわれない。

天上界と地獄界を切るのは自我であり、切ったら実在とはならず、自我となり、よくても方便となる。

自我に比喩した善、利益に比喩した善、有限の善、善悪の善、すなわち方便の善です。

では何故あの世の多次元世界にも、またこの世の地上界にも天の父、つまり神の心が成らないのでしょう。

神の御心は霊天上界に一つも地獄霊が存在せず、地獄界そのものが存在していない世界です。

これが天に父の御心成れるがごとくに成っている世界です。

では更に地獄界は神の創造せし世界ではないのに、何故霊天上界の最下部には地獄界が形成されているのでしょう。

地獄界は、あくまでこの世を縁として死後作られた世界であり、この世の地上人生で人が心に歪みを作り、それを修正できず、死後その心で偽創造された世界です。

この世を縁として作られている世界が地獄界です。

ならばこの世を仏国土にするしかないじゃないか。

この世を仏国土にする運動とは、同時にあの世に天の父の御心を実現する運動と言える。

この世が仏国土とならず、神の体を基準に生き、不幸な世界のままで存在し続ける世界とは、同時にこの世を縁としてあの世の世界にも地獄界に地獄霊を無限に供給し続ける世界となり、いつまで経っても天に父の御心は成らない世界となる。

この地上界で仏国土を造るとは、同時にあの世にも仏国土を造ることとなる。

この世に神の御心成れるがごとく成っている世界とは、同時にあの世にも神の御心が成っている世界と同じだということだ。

この世を縁として地獄界が偽創造され、地獄霊が供給されている。

そして供給されることによってあの世の天も、また神の御心が成っていない世界となる。

あの世とこの世は切れない。

この地上界が仏国土となった時、一体誰が地獄界に堕ちるのであろうか。

一人も地獄界には堕ちない。

すなわちこの世を縁としてその時、あの世もまた天に父の御心が成っている世界となる。

もう分かると思う。

天に父の御心成れるがごとく地にも成らせたまえ。: イエス

とは逆であり、まずこの世に仏国土を造ることによってのみ、次に天に仏国土が造られ、その時初めて「天に父の御心成れるがごとくに成っている世界」が現象化する。

この世に仏国土を造るとは、あの世に仏国土を造ることと同じです。

この世に神の国を造るとは、あの世に神の国を造ることと同じ。

まずあの世、すなわち「天」に神の国があってこれが地上に降りて実現されるのではない。

信仰と悟りによってこの地上界に仏国土を造り、造れば、あの世の「天」もまた仏国土となる。

この世の「地」に仏国土を造らず、あの世の「天」に仏国土が造られることもない。

この世が仏国土とならず、神の国ともなっていないわけであるから当然、この世を縁としてあの世にも地獄霊は無限に供給され続けることになる。

そうなれば「天」に一つも地獄界が存在していない神の御心の実現とはならない。

この世が不幸ならば、あの世も不幸となる。

あの世とこの世は切れない、永遠に一つである。

神の栄光とは、この世とあの世に同時に実現されるものであり、国益や利益のごとくこの世のみに実現され、あの世には何ら実現されない天地が切られたものを言うのではない。

神の心は永遠に天地を貫いている。

貫いているがゆえにこの世に実現された神の栄光とは、必ずあの世にも実現される。

あの世の「天」とこの世の「地」を貫いている価値を神理という。

逆から言えば悪とはあの世とこの世を貫かない価値のことを指す。

天地を分離させる価値を悪と言う。

悪とは神の意志に反すること、この一点なり。: ゼウス神

善とは神の正しさであり、これは永遠に天地を貫いている。

仏陀が今回、全人類幸福化運動を主張しておられるのもこれが理由であろう。

この世で仏国土を造らなければ、いつまで経ってもあの世の地獄界の消滅はない。

あの世の諸神霊もあの世で、なるべく地獄界を消滅させるべく動いているであろうが、あの世だけでは不十分。

我々のこの地上界で無限にあの世に地獄霊を供給し続けているからだ。

この世で仏国土を造り、地獄霊の供給をまず絶たなければならない。

八万四千(はちまんしせん)の法門があると言われる仏教の経典群の中で釈迦の真意に最も近い経典とは法華経であるとよく言われる。

それは法華経のみがこの地上界に仏国土を実現せんとする教えとなっているからだ。

それ以外はこの世を仮の世とし、生まれ変わる自分ではなく、再び生まれ変わらない自分を作るために修行をする現実逃避的な教えが多い。

全人類幸福化運動と同様、この地上界に仏国土を打ち立てるとは釈迦の意志そのものであり、それはやはり法華経が最も釈迦の意志に近いと言えるかもしれません。

ちなみに大乗仏教の経典群は、釈迦の死後400年後に作られた偽教であり、釈迦とは何ら関係ないとする主張があるが、随分と乱暴な主張です。

確かに経典は釈迦直筆ではありませんが、ここ2500年の仏教全体の思想と流れは、お釈迦さまはきちんとあの世から捉えて指導してきております。

その経典を書いた僧侶の悟りの程度にもよるでしょうが、釈迦やその他の諸神霊の指導も入っています。

どのお経にも入っているのです。

釈迦没後、後はあの世で仏教を放っとらかしというのはないわけです。

死後も色々な僧侶を指導していたわけですから当然、その指導の下、大乗の経典群にも釈迦の指導は入っております。

高橋信次氏もあの世で言っていたはずです。

色々なお経がありますけれども、あの経典の中には私が高橋信次として生まれる前の意識体の言葉も入っているのです

というのもこれを言っている。

天台智の一念三千など典型でしょう。

この世では「十界互具」だの「十如是」だの「三世間」だの知と意の産物となり、一般には分からない教えになっておりますが、高橋信次氏の生前の解釈の方が分かりやすいですね。

3とは割り切れず、千とは多いと言う意味であり、心が作る無限の世界を現している。

三千世界とは割り切れないほど無限に多い世界を指す。

心が世界を造るわけであり、その心の動きは無限であり、それだけの世界が意識の世界では客観化されている。

もし人が、仏の心に一念をピタリと合わせることができず、外した場合、妄想無限の世界を意識の世界に作ることになる。

この妄想無限の世界を、いわゆる地獄という。

仏の心に一念をピタリと生涯合わせられれば、その心が造る三千世界はすべて仏国土となる。

カメラの焦点距離を外し、ピントを外せば、ぶれた世界となり、ピンボケの世界となる。

これが現代のピンボケの地上界。

神仏の心に一念がピタリと合致すれば、その動く意識が造る三千世界は、すべて仏国土となる。

天界も、現界も、また地獄界も仏国土となる。

本来、地獄なしではない。

現実に地獄なしである。

仮に70億の人類がその一念をもって神仏の心にピントを合わせることができれば、そこに地獄などあろうはずがない。

現実の世界に地獄なしである。

すなわちこれを仏国土と言う。


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2017年03月10日

GLAと幸福の科学 8

GLAは高橋信次氏という大如来が作った宗教団体であり、幸福の科学も大如来が作った宗教団体です。

どちらも日本の二千数百年の歴史の中で最も高い霊格を持たれた方々です。

この二人は天之御中主よりも霊格の高い方々なのです。

神道はこの二つの団体と教義を好き嫌いで無視するのは勝手ですが、高橋ー大川ラインの「仏陀の大法」は、全世界で説かれ、そして制していくことになる。

従ってこの両団体の研究は必須となります。

一見、どちらも表面的には失敗したように見えますが、この両団体が作られた目的と意図である「仏陀の大法」は、全世界を制する法となる。

既存の宗教や最近できた新興宗教とは次元が異なり、圧倒的に高度な法と言えます。

知っているから抑えているのでしょうがね。

善川三郎が当時、生長の家の教義に対して、

生長の家の教義は完璧に見える。

なおこれ以上、我々が何か付け加えるべき法があるのでしょうか?


と日蓮に質問した時、日蓮は自信をもってこう断言していました。

あります。

なければ私は出てきません。


当時、この言葉の意味を幸福の科学も私も、まるで見当がつかず、分からなかったわけですが、今なら分かります。

高橋信次氏の蒔いた「法の種」を樫木の大木にしていくという意味もね。

まさに字句通りです。

あの当時から日蓮は知っていたということです。

これを自力で悟れれば、

チッチッチ・・高橋信次ぃ、谷口雅春ぅ・・・小さい、小さい、そんなゴミみたいな

法となる。

仏陀の大法」だけでそう言っていいでしょう。

だから国家単位でムキになっている。

この「仏陀の大法」に「神約民主論」を通した三千世界の根源的改造の法も加わりますから空前の神理となる。

日本で消したければどうぞとしか言いようがない。

今後も日本は神道ゆえに欧米のポチで生きていくことになる。

私が幸福の科学で最初に手にした本は、3冊目の潮文社『キリストの霊言』です。

当時は東京に住んでおりましたが、商店街の一角にある古びた書店があり、書籍の分類すらされていない小さい書店でした。

そこにポツンと一冊『キリストの霊言』が置かれており、購入しました。

1986年の夏ごろだったとおもいます。

購入後、その商店街の書店から一歩通りに出た瞬間です。

2、300メートル先に巨大な白い衣を着たイエスが立っていました。

高さ40メートルはあろうかと思うコルコバードのイエス像そのものですが、あの姿で目の前にあらわれました。

イエスは左手で大川さんの方を指さし、

行け、行け、今、世界の救世が開始される

と全世界の救世開始の宣言をしました。

一時的な霊的覚醒状態を作ったのでしょうが、はっきりとイエスの救世開始の宣言を聞いたわけです。

今までの経験から言って、宣言なんかすると大抵、録でもない結果になるのですけどね。

ミカエル宣言

エル・カンターレ宣言

救世開始の宣言


まぁいいとして、おもしろいのは何故イエスがあらわれたのか?

私が何月何日何時何分にその書店に入り、その書店で私が『キリストの霊言』を買うことをあらかじめ知っていたのです。

本人だって書店で何の本を買うか決めておらず、また何の本を買うか分からないのにイエスは『キリストの霊言』をその書店で私が買うことをあらかじめ知っていた。

天の父は、汝らが祈る前からその祈る内容を知っておられる。: イエス=キリスト

霊天上界は物質、いわゆる物質はイコール時間と空間であり、この時空の形式を超越した世界ですのである程度時間を達観している。

だから予言ができる。

少なくとも最低でも3ヵ月先ぐらいは、かなり正確に分かるようです。

時間と空間は思想の形式に過ぎない : エマソン

これは天地創造の原理ですが、時間と空間は精神の活動形式に過ぎず、時空なるものはむしろこの精神の活動より生じたものと言える。

イエスが言う天の父は、汝らが祈る前からその祈る内容を知っている、というのもこの世の人間の方は明日祈る内容は明日になってみないと本人でも分からない。

ところが諸神霊は時間の形式を超越している霊天上界に住しているため、その人間の明日の生活も分かっており、明日の何時何分にその者がどこで何を祈るかを知っており、またその祈る内容も知っている。

だから天の父は、あなたが祈る前からあなたが祈る内容を知っている。

先のイエスの言葉はこれを言っているわけですね。

だから私が『キリストの霊言』をその書店で何時何分に買うことも知っていた。

そして購入することを知っていて出てきた。

幸福の科学をカルトと認識している人は多いでしょうが、少なくとも最初はそうではなかった。

この幸福の科学を中心とする運動は、霊天上界の諸神霊が一致団結していた、とてつもない計画の運動だったのです。

大川さんが知っていたかどうか判然としませんが、私が当時知っていたのは、指導霊をしていたイエスと高橋信次氏は、少なくとも30年で最低幸福の科学の会員数は「10億人」、神理の伝道としては全人類を意図していました。

彼らは明確にそれを意図していたのです。

そしてあの巨大勢力を誇るバチカンやイスラムも幸福の科学の活動によって少数勢力に落ちこんでいく。

ミカエルなどは、あの世から明確にバチカンの崩壊を預言していたはずです。

日本の新興宗教や宗教団体もすべて潰れていく。

どの教祖も悟ってないのに悟っているふりをしているからです。

少なくともそういった計画だったのです。

その当初の計画からすれば、狂いと言ったようなものではなく、明らかに失敗と言える様相を呈しています。

ただ私の前に巨大なイエスが出てきたのは事実であり、明かすのはこの幸福の科学の運動に対して責任逃れをしてほしくないからです。

神道のように幸福の科学の問題を無視して黒歴史とし、なかったことにしようなどと企んでもらっても困る。

特に神道は私にも幸福の科学にも、また南京虐殺や従軍慰安婦でも本気でなかったことにしようとする系統ですのでね。

そのためにはどのような犯罪でも犯します。

多くのあそこの会員は、恐らく霊言を読んで入会したのでしょう。

私はイエスの救世開始の宣言と高橋信次氏の脅し、並びに大川さんの観自在力による監視によって信じざるを得なかった。

確かに1989年までの霊言は本物でした。

ただそれ以後はすべてフェイクです。

諸神霊は一人も出ていません。

1991年以後、諸神霊が出ているというならば、それはすべて嘘霊言だと断定しているのです。

一人も出ていません。

それを華麗な勘違いというのです。

イエス自身が世界の救世開始の宣言をした限り、幸福の科学の運動と存在をなかったことにはできません。

神の神殿で起こった事実なのです。

全人類救済最高責任指導霊というならば、責任をとってもらわなければなりません。

神道ではあるまいし、なかったことにはできないでしょう。

南京虐殺はなかった、従軍慰安婦はなかった、なかった、なかった、なかった、なかったのは福島の溶融燃料

多くの諸神霊を巻き込んでしまったわけですよ。

この世でも多くの不幸を作ったようです。

イエスの再臨もあったでしょう。

イエス自身が、あの世から大川さんのところで2冊本を出版しています。

聖書でも、あれは直接イエスが書いた書物ではありません。

ところが大川さんのところで出ていたイエスの霊示は、本物のイエスがあの世から直接書いた本です。

これはキリスト教徒が望んでいたイエスの再臨そのものです。

1990年以後、イエスは出ておりませんが、1980年代のイエスは本物のイエスでした。

本人ですから否定もできない。

たとえこの世で幸福の科学がカルトと言われていようが、イエス本人はあれを否定できない。

日本では、初期触れた人は多く、知っている人も多い。

なかったことにはできないわけですね。

不自然すぎてね。

もう出てくることはないでしょうが、仮にもう一度イエスが言葉で復活し、高橋信次氏が言葉で復活しますと幸福の科学と大川さんの問題に言及せざるを得ない。

しかして言及すれば、かつてのGLAのように偽物として反発する可能性が高い。

高橋氏の方は霊言でも当時から言っていました。

私が死んだ後、あっちこっちで私の名前を語るものが出てきて困ってるんですけどね。

私は通信を送った覚えは全然ないんだけれども、高橋信次の名前であちらこちらで商売されちゃって


ほんとよく商売される人です。

今でも出てきています。

高橋信次の復活とか再復活とか、通信を送った覚えはないんでしょうけれども、ほんと商売されちゃって。

今回の救世運動の最高責任指導霊はイエス=キリストだったはずですね。

知っている人も日本ではたくさんいます。

ならば責任を取るしかないわけです。

中々、難しいと思いますけどね。


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2017年03月09日

GLAと幸福の科学 7

GLA時代の事象は、いくつか検証しておかなければならないことがあります。

GLAは高橋信次氏の死後、1、2年で分裂しています。

最晩年、彼が死ぬ3ヵ月ほど前に二代目の当時19才の佳子女史にミカエルとガブリエルが入って語っています。

GLA講演「1976年3月7日 中京春季講演会」より 名古屋市民会館 : ソース

これをどう見るか?

ミカエル自体が存在せず、後世の人間が勝手に作った架空の存在と思い込もうとする幼稚な考えはさておいてミカエルという霊存在は実在するわけであり、名前の難しさに関しては以前の記事でも書いたので省きます。

文殊菩薩も維摩詰も、この世の偽教が作った架空の人物であり、実際は存在しないと言う者がおりますが、少なくともあの世ではその名を名乗って導いてきた霊存在はあるのです。

ミカエルも同様であり、この名を名乗って西洋で悪霊を光で払ったりしています。

昔は中国やアジアでイエスを名乗っても理解できず、アラーを名乗っても理解できませんから、当時の大衆が理解している文殊とか如意輪観音という名を名乗って大衆を導いてきた霊存在はあるのです。

私も見たことがありますが、メフィストフェレスと名乗る悪魔もいるのです。

ところが言うまでもなくメフィストフェレスは、ゲーテの文学作品に出てくる架空の悪魔です。

フィクションですね。

だから実在していないのかと言われれば、実は地獄で実在しているのです。

ゲーテで有名になったため、あえてその名前を名乗っている悪魔がいるのです。

従ってメフィストフェレスの名を名乗る前は、別の名前を名乗っていたはずです。

ただその名に相当する霊的実体はあるのです。

名前というのは難しいものです。

ミカエルも同様です。

ミカエルは如来であり、通常女性には入りません。

女性の如来はいないからです。

ただ高橋信次氏の娘の方は、如来に匹敵する霊格はもっておられるようであり、通常の女性にミカエルは入りませんが、佳子女史の場合は入りました。

霊格は女性の中では最も高いものを持っておられるようです。

この点はあの世で高橋信次氏も言ってました。

みなさん、華麗な誤解をしているようですが、女性の救世主というのはいないのです。

女性の如来というのはいないのですね。

ただ神格というのが別にあって女性の中でも如来に匹敵する神格をもたれている方は何名かいるのです。

だから天照大御神が菩薩かっていうとそんなことはないんです。

如来に比肩する神格はもっている。

うちの娘もこのクラスの霊格はもっておるのです。

手前味噌で申し訳ないけれどもね、我田引水でね。

娘の自慢話ばかりして申し訳ないけれども、このくらいの霊格はもっておるのです。


・・・親ばか?

大川さんは如来に比肩する霊格をもった女性は3名いると言ってました。

一人はフランス救国の少女、ジャンヌ・ダルクであり、二人目が天照大御神であり、三人目が高橋佳子だそうですね。

私も長い金髪の後ろ姿だけですけれども拝見させて頂いたことはありますけどね。

ご尊顔は拝見させていただけませんでしたが、ヘラですね。

この三名を今はご都合主義で変えてますけどね。

確かにGLA時代にミカエルが入ってます。

しかしていくら神格をもっていたとしても19才で如来の悟りをもっていたかとなると、甚だ疑問です。

もっていなかったでしょう。

にも拘わらずミカエルが入った。

ここで分かることはこの世の人間として霊格に匹敵する悟りをもっていなくても、霊格という器さえあれば、その霊格に相当する神霊が入ることができる。

極端に言えば悟っていなくとも霊格という器があれば、その霊格に相当する神霊がその肉体に入って語ることができる。

正確に言えば「霊格と霊能力」ですね。

これさえあれば悟っていなくても諸神霊が入って語ることができる。

これが恐らく今回の幸福の科学の件でも妥当している。

GLAの方は19才ですから仕方がないとは思いますが、この時入信していたのが平井和正氏であり、彼は一番悪い時に入りましたね。

ババ抜きでババひいたようなものですね。

GLAが魔軍の総攻撃を受けている、まさにその時に平井さんは会員になっています。

平井さんは「カリスマの獰猛な物狂い」と言っていましたが、さんざん嫌な目を見たようです。

しかして本人曰く「狂信のドツボ」にはまっていた平井さんは、それがしばらく見抜けなかった。

悪魔にやられている天使軍団を間近で見たのですね。

大笑い、じゃなかった、笑っちゃいけません。

神への信仰と悟りによって生命が進化向上すれば、これを原因(神の心)として結果(神の体)上がるものが「霊格」であり、発現するものが「霊能力」です。

霊格と霊能力」は、あくまで結果(神の体)であり、原因(神の心)ではない。

これを主体とすれば神の体(物質・結果)を拝む「偶像崇拝」となる。

今回、霊道を開いた者達が全滅に近い状況を呈しているのも、すべてはこの「偶像崇拝」が原因です。

神の心とこの悟りと言った原因がない。

だから物質で奢り、そこを魔にやられている。

霊格という物質(結果)を心の物差しとし、どっちが偉い偉くないという相対観によって優越感と劣等感の両極端にぶれ、そこを魔につかれている。

霊能力を心の物差しとし、霊能力を持っている者が偉いのだ、あるいは特別なのだ、といった悪しき選民主義に陥った。

霊能力を基準とした相対的比較観から生じる驕りです。

自己都合、すなわち自我を基準とすれば、あの世であれ、この世であれ、必ず神の心ではなく、神の体(物質)に支配される。

そして物質の属性を有した思想と行動を取る。

物質の属性の一つに結果主義がある。

物質宇宙は神の表現結果であり、物質は結果を意味する。

この結果が、いわゆる「霊格と霊能力」であり、これを目的とするようになる。

大川さんは霊格はあるし、霊道も開いている。

悟りに関係なく霊格という器があれば、その霊格に相当する神霊が肉体を支配して語ることができるのはGLAでも幸福の科学でも証明されている。

そしてこの「霊格と霊能力」さえあれば、肉体人生80年の努力で悟る悟り以上の神理をあの世から無限に降ろすことができる。

霊格があっても霊能力がなければ諸神霊の言葉は降ろせないし、霊能力があっても霊格がなければ諸如来諸菩薩の言葉は降ろせない。

霊格と霊能力」双方があれば、この世の人間以上の神理をいくらでも降ろすことができる。

霊天上界にいるのですから当たり前ですが、発想がずるいのです。

この世の人間には信仰だの悟りだの努力だのお説教していたくせに、その指導霊は悟りもその努力もまるで関係のない発想をしていた。

80年、努力して悟れる神理以上の神理を、「霊格と霊能力」さえあれば、あの世からいくらでも降ろすことができる。

この間違いは、それが許されるならば、人生の意義は神の心、正しき心とはならず、霊能力となる。

神がこの宇宙で定められた永遠の人生の目的と意義が変わってしまう。

これが今回の大救世運動の失敗の原因の一つでしょう。

霊格と霊能力」さえあれば、この世の人間以上の神理をいくらでも降ろすことができるわけですから霊格の高い者ほど善ではなく、霊能力を目的とするようになる。

大日意識は、そのイエスのやり方を許さなかった。

だから失敗した。

西洋でもスピリチュアリズムで霊訓を出していますが、これはつまりあの世から人生の答え丸投げという奴です。

それが正しい霊訓ならば、その内容はみずからの努力で自力的に悟らなければならない。

そのために神は大宇宙という修行場を作り、我々に永遠の生命を与えている。

この目的に反したことをしていた。

あの世から答え丸投げ。

しかも人間の努力や信仰など関係のないやり方をしていた。

だから「霊格と霊能力」、この結果主義で救世運動は失敗した。

結果ですから方便でしょう。

方便は有限ですから有限を逸脱して失敗した。

このやり方は、原因(神の心)、つまり初めから神と悟りを軽んじておりますので、GLAでも幸福の科学でもその悟り不足から軒並み道を逸れています。

このやり方は、神と悟りを軽んじておりますので諸神霊が出れるうちはいいですが、悟りに問題がありますとすぐに富や権力、地位や物質的繁栄に心が捉われ、物質を「天」に置く「偶像崇拝」に陥り、諸神霊も指導できなくなる。

富という相対的なものを絶対化し、御利益を絶対化し、物質を「天」に置き、宇宙と分離され、天地も分離して諸神霊からの指導も止まり、救世運動は失敗していく。

幸福の科学は昔は「愛、無限」と言っていたのですが、今は「富、無限」と言って名刺に刷るんだそうです。

無限の富を、あなたへ

大笑い。

教祖が相対的な自我を絶対化すれば、神の体の方面に支配され、この結果主義を身につけ、その物質の属性をもつ思想と行動を取ります。

結果主義とは、ノルマでも出ますし、魔認定でもでます。

数字しか見ない、結果しか見ない、言い訳は許さない

これは教祖の傲慢であり、こう言われた支部長などは本来は会員の心を幸福に導きたいのですが、ノルマをこなさなければ首になりますので、むしろ会員から収奪する傾向があらわれます。

数字しか見ない、結果しか見ないと言われますので、首になるわけにもいかず、そのうちその数字を捏造し、結果を偽装し、嘘をつく人間にもなっていきます。

これも教祖が慢心したからです。

教祖が自我を絶対化したために神の体に支配され、物質の属性である結果主義や物質は利益を意味しておりますので富を最上位に置いたりします。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体です。

神の心が永遠に「天」であり、神の体は永遠に「地」で天地一体です。

正義が「天」であり、利益は「地」なのです。

慢心とは相対的なものを絶対化することですから自我という相対的なものを絶対化し、神の心ではなく、神の体の方面の支配を受け、神の体、すなわち「物質」を「天」に置き、その瞬間、大宇宙(神の存在)と分かれていきます。

すると諸神霊からの指導も受けられなくなる。

富を「天」に置いた「偶像崇拝」は、大宇宙と我を分離させ、あの世の「天」とこの世の「地」を分離させていく。

そうなりますと、もはや「法の編纂」とは言えなくなる。


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