2017年03月26日

GLAと幸福の科学 9

1986年夏、イエス=キリストの世界の救世開始宣言以後、ぐんぐんと幸福の科学は伸びていきます。

『太陽の法』、『黄金の法』、『永遠の法』と救世の基本3部作も出版しました。

特に初版本は釈迦のほぼ100%入神状態で書かれた本であり、人間的なる表面意識はほとんど入っていません。

あの初版本はこの世の人間が書ける書物ではない。

大川さんは書き換えたものを、今は出版しておりますけれども、初版本に戻すべき。

エル・ランティの件もありますから難しいのかもしれませんが・・・。

何故、自己の光の業績を、みずから貶めるような真似をするのか理解できません。

特に初版本の『黄金の法』における過去世目録は完璧です。

今後も未来において西洋、東洋、中東の如何を問わず、光の天使は生誕してくるのです。

その時に分かるのです。

天使ならば本当のことが書かれてある事実が、未来の人達はみな分かるのです。

それが最も大切なことであり、未来の天使の場合、そこから神理探求を開始することができる。

神の存在証明やらあの世の証明やら、そういった次元から入る必要がなくなるのです。

それを前提としてそこから神理の探究を始めることができるために人類全体の霊的進化にとって非常に効率がいいのです。

何故書き換えるのか理解できない。

ほんとすばらしい霊言だったよね、はじめだけは。

ほんとすばらしい理論書だったよね。はじめだけは。

観自在力に漏尽通力、幸福になれない症候群、真説・八正道、限りなく優しくあれ等々、すばらしかったよね、はじめだけは。

こんなんばっかりで。

初期の幸福の科学は、高橋信次氏系統の弟子が7、8割りがた要職を占めていたようであり、大川さんを囲んでいた弟子のほとんどは、高橋信次氏の元お弟子さんでした。

GLAが大分裂を起こした時、会を出て行った弟子ばかりだったようですが、GLA系統が主流だったわけです。

そのGLA系の弟子は、高橋信次氏が大川さんを後継者と指名したから入会したわけですが、基本的には大川さんよりも高橋信次氏に帰依していた人が多かったようです。

ある意味、大川さんに失礼ですね。

大川さんの法に帰依していたわけではなく、高橋信次氏に帰依していた。

つまり大川さんを中心に回りを高橋信次氏の弟子が囲んでおり、その弟子はあの世の高橋信次がコントロールしていた。

あの世からは高橋信次氏が大川さんの巨大霊媒能力を利用して偉くなろうとしたり、この世のGLAの弟子を使って大川さんをコントロールしようとした。

GLA系統が大川さんを利用しようとした。

つまり人格性という目的を利用という手段にしようとした。

汝ら決して他の人格を手段として取り扱うことなかれ、人格は必ず目的そのものとして取り扱えよ : カント

野蛮人は自己の目的のために人格を手段として取り扱うのが特徴です。

近代はそういった人間観にはなっていない。

宗教家には多いです。

他の人格を自己の目的のための手段として扱うものがね。

こういった考えが奴隷制を生むのです。

これを高橋信次の、

幸福の科学、乗っ取り計画が、バレバレで・・

と言っていた。

指導霊ですから乗っ取るも何もないと思いますが、そう言っていました。

当然、1990年には高橋信次系統の回りで囲んでいた弟子は重要ポストからすべて外し、その霊言もすべて絶版にした。

高橋信次氏があの世から自己をコントロールできないように布石を打った。

自分を利用しようとしていた者をすべて排除したわけです。

これはこれで一理ある。

今回の救世運動の中心は大川さんだったわけですから、あまり死者が出しゃばってもらっても困るということでしょう。

また高橋信次氏の生前の教えを金科玉条のように信じ込んでいるお弟子さん相手だと相性が合わなかったというのもあるかもしれません。

高橋信次氏の教えを悪とまで言う気はありませんが、生前の教えでは全人類の救済も幸福も不可能であり、仏陀が目指していた高みは、GLAのお弟子さんでは到底理解できないレベルです。

それを未だに40年前の師の教えを金科玉条のごとく信じ込み、それ以外の教えやその範囲、高みや深さも分からず、認めず、GLAの八正道だけを振りかざしてもらっても大川さんも私も困ります。

悪魔をも救ってやろうとする慈悲が大切 : 高橋信次

こういった問題が教えにあるのです。

神への信仰と悟りによって生命が進化向上すれば、これを原因として結果(神の体・物質)現象化するのが「救済」であり、救済とは利益であり、御利益です。

よくても結果に比喩した善であり、方便です。

この救済という結果(物質)、御利益を絶対化して、悪魔をも救ってやろうとする慈悲が大切と言っていたはずです。

半分正しく、半分間違い。

大体、悟りも反省もない者を救えるわけがありません。

それでも救えというならば、明らかに御利益信仰となる。

悟りもなく、反省もない者を救えというならば、それはエゴイズムを無限化するだけです。

御利益を絶対化するとは、傲慢を意味しており、何が何でも救えばいいというものではない。

これは何が何でも儲かればいいと言う者と変わらない。

救済よりも神の心の方が大切だということです。

この神の心を無視して救済だけを言われても困る。

イスラム教でも出ています。

アラーフ・アクバル」と言い、「アラーは偉大なり」と言わせています。

神理を説けば、これを原因(神の心)として結果(神の体)、偉いと言われる。

この「偉い」ならばいいけれども、偉いを「天」に置いて、神の心をそのための「地」に置いているような者ばかり作って宗教戦争をしてきました。

神理が「天」であり、偉いが「地」で天地一体です。

これを逆転させれば地獄の創造主となる。

神の心を無視して救済という利益だけを暴走させれば、それはどう好意的に見ても方便です。

そして方便の善では人類の救済も幸福もない。

幸福の科学は、1986年から本格的に始動しますが、同時に諸神霊が霊言を大量に通信してきました。

これは人間の良心が最も高いレベルで地上に出現した状態と変わりません。

あのまま出続けていれば、ノストラダムスやその他の予言者の予言は当たっていたでしょう。

キリスト教では「最後の審判」と言いますが、死後、良心が復活し、その内部神性が自己の思いと行いを裁き、行くべき世界が決まる。

これを死後ではなく、生きている時に下す「最後の審判」を実行しようとした。

霊言とは本来、この地上人類への「最後の審判」だったのです。

諸神霊が地上に出てくることを「最後の審判」と言います。

これが出ないうちは「最後の審判」は、人類的な意味ではないということです。

これは何も霊言という形だけではありません。

天変地異や戦争という形でも出ます。

要は地上世界に神の光で干渉をしていくのです。

悪なるものは、光に接して崩壊していきます。

神の心と光に適合できる人格性のみが残るでしょう。

幸福の科学は、霊言と法でこれをやろうとしていました。

そして1986年、1987年、1988年、1989年の全盛期を迎えます。

ほんとはこの題は、はやく終わらせたいのですが、なるべく正確に検証しておかなければならない。


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