2016年12月22日

アンタッチャブル 4

多次元世界の存在意義は3点。

1点目は多次元世界の存在は、それ自身が人間とは何かを根源から定義づけている、換言すれば人間とは生命であると根源から定義づけている存在であり、世界であるということ。

多次元世界があるということは、あの世があるということであり、それは人間とは肉体であると定義することを許さない世界です。

人間とは肉体であると定義すれば、肉体は物質ですから80年生きれば、死んで土にかえりますのであの世の「天」とこの世の「地」が分離します。

天地分離の人間観が肉体観です。

人間とは生命であると定義づけますと、その生命はあの世にも持って帰ることができますのであの世の「天」とこの世の「地」が一体化した天地一体の人間観となります。

仏国土顕現の根本的公理は、人類各人が「天地一体の悟り」を得るにある。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体です : 高橋信次

神の心が「天」であり、神の体は「地」で永遠に天地一体です。

天地分離は神理ではないということです。

従って人間を肉体とする定義は誤りです。

その天地分離の典型が、いわゆる悪霊の憑依現象です。

表面意識が悪、潜在意識が善、これを悟ったならば悟りの境地に入ったと見てよい。 : 高橋信次

神の国(多次元世界)は、ここに見よ、かしこに見よ、というところにあるのではない。

まさにあなた方のただ中に在るのだ、すなわち表面意識の奥、潜在意識(多次元世界)に在るのだ。

潜在意識が「天」、表面意識が「地」で永遠に天地一体ですが、悪霊の憑依現象とはこの霊天上界の「天」と表面意識の「地」が分離した天地分離現象に他ならない。

この天地分離によって本来存在しない地獄界があらわれている。

天地が分離する原因は信仰の欠如による悟りと反省不足です。

これが1点。

2点目は人間とは生命であり、多次元世界があるということは人は永遠に生きていくことを意味しており、そこには神の心という永遠の目的がある。

これをカントが言うようにア・プリオリ(先験的客観)に宿してうまれてくる。

神の心を悟れば戦争もなくなり、地獄界もなくなり、人種差別もなくなり、飢餓もなくなり、暴力もなくなり、環境も良くなり、死刑制度もなくなり、経済を無限に繁栄させても溺れませんので永遠の繁栄が心と悟り次第で実現できる。

神の心を悟らずしてこういった仏国土は永遠にあらわれない。

神の心とは、すなわち幸福である。

これを万人が例外なく宿している。

人間とは完全(神)の種子を宿した霊である。 : シルバーバーチ

人類共通の永遠の目的を宿して生まれてくる。

これが2点目。

3点目はこの平等の神の心をすべて宿して生まれてくるがゆえに、この一つの神の心を基準にすべての生命が公平に計られて行くべき世界が決まる。

ある者は幽界に、ある者は神界に、またある者は菩薩界に帰天する。

幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界は一にして多、多にして一、平等ではあるが、差別、差別ではあるが平等、平等即差別、一即多、多即一が永遠の理法であり、実在の根本的方式です。

実在の根本的方式は一なると共に多、多なると共に一、平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具するのである。 : 西田幾多郎

万人は永遠に神において平等ではあるが、その平等の神の心に向かう各人の努力もまた神の心を基準に公平に評価されている。

平等と差別という絶対矛盾が自己同一化した世界です。

これが実体化している世界が霊天上界、すなわち多次元世界です。

これは人類各人の自我の奥、すなわち潜在意識に在る。

この世は神の体を基準にして不幸な世界を作っているが、あの世は神の心を基準にしているがゆえに霊界人口500億人、悟りの高低の如何に拘わらず、一人の例外もなく「幸福」である。

不幸な者は一人もいない。

これが人間生命の本質です。

神の心を永遠の基準として平等と公平に貫かれているがゆえに500億の霊人は一人残らずが幸福である。

これがGLAで立証しようとした一方の極である多次元世界です。

他方の極である輪廻転生のシステムは高橋氏の時代は、具体的に今世学んだことのない過去世の言葉を語る異言現象によってこの輪廻転生を証明せんとしていた。

生まれ変わりがあるというならば、過去世があるということであり、外国に生まれていたならば当時の言葉を語ることができる。

この異言現象によって輪廻転生を証明せんとしていました。

しかして所詮、霊能力ですから第三者が確認も検証もできない限界がありました。

輪廻転生の意味は4点。

1点目は神を宿して生まれてくる存在が人間ですが、その完全な神の心はわずか80年では悟り得ない。

すなわち真の自己を知りえない。

悟りとは真正の自己を知る、これに始まってこれに尽きる : 西田幾多郎

真の自己を知るためには、すなわち神の完全な心を知るためには「永遠のタイム」を必要とする。

かく最深の宗教は神人同体の上に成立する : 西田幾多郎

これはヘーゲルの言う「個即絶対者」、神人合一と同じです。

思惟(主観)と対象(客観)の一致、主観(心)と客観(宇宙)の合一、個即絶対者、神人合一とは、これ宇宙即我、如来の悟りです。

わずか80年の人生では自己のすべてを知りえない。

永遠を必要とするが、単に漠然と永遠に生きるのではなく、各時代各地域に誕生して具体的に修行をしなければならない。

輪廻転生とは自己のすべてを知るために必要不可欠なシステムです。

キリスト教は永遠の生命を説いてはいるが、輪廻転生を説いていないために非常な恐怖を生みました。

1回限りの人生と捉え、輪廻転生、いわゆる生まれ変わりはないと説いているがゆえに、ならば中には地獄に堕ちる者もいるわけです。

この場合、生まれ変わりはないと説いているがゆえに、一旦地獄界に堕ちた者は、永遠に地獄の業火に焼かれ続ける以外になくなる。

他方で永遠の生命を説いているからです。

この異常な恐怖を生んだ。

永遠の生命と輪廻転生は必ずセットで説かれなければならない。

真正の自己、すなわち神の心は80年ですべて悟れるような心ではないために各時代各地域に異なる環境に生まれ、自己を具体的に磨いていかなければならない。

そのためにシステムとしての輪廻転生がある、これが1点。

2点目は古い宗教で説かれている誤った輪廻転生を正確に説いておく必要がある点が2点目です。

古い宗教では輪廻転生と聞けば、ロバや牛に生まれ変わるとか虫けらに生まれ変わるとか動物に生まれ変わると捉える概念もあります。

これは近代のスピリチュアリズムの「再生の概念」、エドガー・ケイシーのリーディング、あるいはGLAでも明確に否定されていたと思いますが、人間が動物や虫に生まれ変わることはないわけです。

人間はあくまで人間・神の子として修行しているのであり、動物に生まれ変わるというのは原則ない。

ところが古い宗教では未だにそういった概念として説かれているために、これを今回の「救世の法」では正確な概念に戻しておかなければならないわけです。

輪廻転生という概念そのものに埃と塵がついており、この埃と塵を払っておく必要があります。

これが2点目です。

3点目は輪廻転生とは、エマソンの言った「償いの原理」の現実的立証システムである点が3点目です。

かつてエマソンは、「永遠」を悟って「すべてはつぐなわれる」という「償いの原理」を説きました。

永遠」を生きるのならば、すべては償われる。

人生が有限ならば、つぐなわれない。

80年の有限の人生では後悔することや償えないことも「永遠」を生きるならば、80年で償えなかったことも善を旨とさえしていればすべては永遠のタイムの中で償うことができる。

人が永遠を生きず、人生80年で死を迎え、かつて深く後悔することがあったとしても、80年以内では償えないと分かった時、その有限の人生観は「絶望」に変わる。

有限の人生観には常に「絶望」があるが、永遠の人生観には「絶望」がない。

永遠」とは、すなわち「希望」を意味する。

絶望」は常に有限性から生まれる。

人が「永遠」を生きるならば、何に絶望するのであろうか。

悪は「永遠」に勝てはしない。

あのルシフェルでさえ「永遠」に地獄界にいることはできない。

いつか地球という星もなくなる時がくる。

地球という星がなくなるとは、もはや地獄界に落としたくても落とす人間がいなくなるということだ。

その時、それでも彼は「永遠」を生きざるを得ない。

ルシフェルは「永遠」に敗北するであろう。

これをエマソンは「償いの原理」と言った。

すべては償われる、と。

しかしてこれも輪廻転生のシステムが存在せず、1回限りの人生であるならば、現実化しえない。

再び生まれ変わって償いたいと思っても、1回限りの人生ならば、つぐなう機会はない。

後悔することや悔むことが無意味な生命活動となる。

エマソンの言う「償いの原理」の神理とその正当性を具体的に立証するシステムが輪廻転生である。

永遠に何度も霊的修行のために生まれ変わり続けるならば、80年で悔み、後悔していることも永遠のタイムの中で、いつかすべて償うことができる。

有限の人生観ならば霊的進化向上は無意味。

死によって無となるはかない生命が人間ならば、進化や向上に意味はない。

向上しても、努力しても、最後には死という常勝将軍が立ちはだかり、その向上も進化も努力も最後にははかなく無と化していく。

すべての努力はこの常勝将軍によって薙ぎ払われていく。

それでも努力し向上せんとするならば、それは善のためではなく、自己の利益のためであり、有限の人生観は常にエゴイストを無限に作り上げていくこととなる。

そのエゴイズムが世界を腐敗させることは言うまでもない。

永遠に生きていくがゆえに霊的進化向上に意味が出てくる。

自己を悟りによって、すなわち神の心によって無限に豊かにしていくことができる。

その心の豊かさの程度は、いわゆるヘーゲルの言う「無限」である。

人間は信仰と悟りによって無限に自己の心を豊かにしていくことができる。

有限の人生観はエゴイストを生み、永遠の人生観は神の子を生む。

有限の人生観は「絶望」を生み、永遠の人生観は「希望」を生む。

神は「希望」である。

紙幅の関係上ここで切ります。

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posted by 管理者 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 神理
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