2017年01月11日

GLAと幸福の科学 2

GLAの教義では、イエス・釈迦・モーゼの上に大福もちみたいなエルランティがいて、エルランティの光をこの3名が受けている。

釈迦はエルランティの分霊のような言い方をしていました。

ここに違和感があるのは、エルランティの霊系団が地球にくる前、既に仏陀意識は存在していたはずであり、分霊という言い方に違和感がある。

仏陀意識は地球でとにかく一番古い意識だと言っていました。

エルランティの分霊という言い方は、恐らく神の光をエルランティが分光し、その分光された7色の光をそれぞれの大如来が受け持っている。

この在り方を見て分霊という言い方をGLAではしていたのであろうと思います。

ただ多次元世界の住人は、みな神を本質にもつ神の子ですから、すべての霊人は神の分霊と言えば分霊です。

それをエルランティの分霊だの誰それの分霊だのと言う個別的な説き方をすれば、また別の誤解を生みます。

神という大元から説くのが、最も誤解のない説き方であろうと思う。

幸福の科学の教義は、「正しき心」を御本尊として、「正しき心」の探究・学習・伝道、この順序の通りに実行する。

「正しき心」は、過去の人類も求め、現在の人類も求め、そして未来の人類も一人残らず求めていく「永遠の心」です。

「正しき心」とは、神の心そのものであり、過去・現在・未来の三世を超えている。

仏陀意識の意図としては、御本尊は「正しき心」以外にはない。

次に私的幸福から公的幸福へ、すなわちアラハンから菩薩へ。

これを具体化した法が愛の発展段階説であり、愛する愛の幽界・霊界、生かす愛の神界、許す愛の菩薩界、存在の愛の如来界へと永遠に段階と順序を踏んで各個人が霊的に進化していく。

その基礎となる人生観を霊的人生観の確立と言っていました。

「正しき心」はあの世の「天」とこの世の「地」を同通させる道であり、これをあの世とこの世を貫く幸福として全人類幸福化運動を掲げました。

これ以外に愛・知・反省・発展の四正道を説き、キリスト教の愛、ギリシャ哲学の知、仏教の反省、光明思想の発展を入れています。

中道とは足るを知るの道であり、中道に入れば神と同通しますのでそこからの無限の発展、中道からの発展を説き、反省しても神と同通しますので、そこからの発展、いわゆる反省からの発展も説きました。

善悪二元論と善一元論の対立は、結局は相対的二元論で終わっていたと思いますが、途中で言及しなくなってしまった。

「正しき心」の探究を途中で放り出したような感想をもっています。

「救世の法」に関しては高橋信次氏が、一番最初の霊言でその答えを言ってしまっており、本当はみずからの自力で悟らなければならなかったのでしょうが、あの世から言われても当時の人間は大川さんを含めて誰一人その意味が分からなかった。

私も何か重要なことを言っているのは分かりましたから、常に心には引っかかってはいたのですが、その意味はまるでわかりませんでした。

分かったのは仏陀からのご指導を受けてからです。

しかしそれも恐らく100%ではなく、私が理解しているのは60%〜70%ぐらいです。

今、大川隆法らにやらせようとしているのは、全体の法の編纂である。

個の法は私で8割尽きています。

後、大川隆法らにやらせようとしているのは、個の法の残り2割と全体の法の編纂である。

全体の法とは、この大宇宙の構造と仕組みを解き明かすのみならず、多次元世界の構造と仕組みまで説かそうとしている。


高橋信次氏は、1986年の時点で救世の法の意味を知っているのですね。

あの世にいるわけですから、ある意味当たり前ですが、この世の人間はその意味と重要性が分からなかった。

日蓮も知っていたようであり、愛の発展段階説まで悟ったら、次に実在論を悟らなければならない。

生長の家が言う霊現象界が正しいのか、GLAが言っていた霊実在界が正しいのか。

これを当時日蓮が、善川三郎や大川さんに悟らせようとしていた。

幸福の科学はこの実在論から始まっている。

これを悟らなかったからカルト化している。

大宇宙は「正しき心」の表現体であり、多次元世界も「正しき心」の表現体です。

その「正しき心」は大宇宙の構造と仕組み、多次元世界の構造と仕組みの中にのみ表現されている。

当時、高橋信次氏はあの世からこれを読み取れと言っていたのです。

「正しき心」がイコール幸福であり、これは大宇宙と多次元世界にしか表現されていない。

やはり全人類幸福化運動と言うならば、最後は必ずここに行き着く。

仏陀意識の意図としては当然、「正しき心」が御本尊でしょうが、これを1991年3月に自己の写真を御本尊にしてしまった。

これで諸神霊が出れなくなった。

ほとんどの諸神霊が離れました。

それでも何とか軌道修正させようとして動いていたのが高橋信次氏と神道でした。

ほとんどの諸神霊はあの時点で離れるか、厳しい目で注視していました。

1990年で多くの人・物・金・偉いがあらわれ、それを心で握ってしまい、慢心してしまったのです。

正しき心を標榜していたはずの幸福の科学が、教祖の自己都合、好き嫌いに善悪の基準がすり替わってしまい、神我から自我へと基準点が移ってしまいました。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体です。

永遠に神我が天であり、自我は地です。

永遠に生命が天であり、物質は地です。

永遠に正義が天であり、利益が地です。

永遠にあの世が天であり、この世が地です。

これが逆転してしまったのが、1991年です。

すなわち自我を天に置き、神我を地に置き、大宇宙と分離してしまった。

諸神霊は大宇宙の心の通りにしか動けませんので、教祖がこれと切られますと指導できなくなる。

これを何とか高橋信次氏が修正しようとしていたのですが、結局できませんでした。

1991年の秋に他の如来の反対を押し切ってまで、無理やり大川さんのところに出ようとしたことがあるのですが、結局でれなかった。

凄いえこひいきで、ああいう個性なのでしょうね。

昔から神を名乗っているくせにユダヤ民族だけを、やたらえこひいきして、加担する性格ですが、今回もそうでした。

もう大川さんだけがしっかりとしていれば、他の天使は「屁」と一緒。

ちなみに私もその「屁」の一人です。

ただひたすら大川さんだけを見て、えこひいきしてました。

大川さんさえ悟れば、お前らなんか不必要、いらないってな感じ。

あっ、お前、いたの?

でも大川さんさえしっかりしていれば、お前なんかどうでもいいやぁ。

ほんと失礼なハゲ。

やたら大川さんだけに加担していたのですね。

「今、天上界のヘッドとも言われる方がでているのだ」

「あなた方が主とも仰ぐべき方なのだ」

「大マイトレーヤが降誕しているのだ」

「アンゴルモアの大王とは、モンゴリアの大王、すなわちアジアの光・釈迦を指しているのだ」

「人類史上最高の救世主が再誕しているのだ」

「釈迦は釈迦でも、釈迦の本体が出ているのだ。

この本体部分はめったに地上にでてくることはないのだ。

イエスの教えが世界に広がるのに二千年かかった。

しかし現代は二千年も待つ時間的余裕などはないのだ。

人類の危機が迫っている。

同時代でその危機からすべてを救うには、我々霊天上界としても、それだけの巨大な力をもった者を出さざるを得ないのだ。」


大如来として要求されている十分な悟りをもつ前に、

ホレ、ホレ、うぬぼれるように、うぬぼれるように、ホレ、ホレ、さぁ、うぬぼれなさい

みたいなことをやっていました。

要は人を集めようとして言っていたのでしょうが、悟りが未熟な場合、この世の人間ではなく、あの世の諸神霊がべた褒めするわけですから、うぬぼれさせる効果抜群。

・・それだけ至れり尽くせりでほめりゃ、そりゃ、うぬぼれるわ。

逆らえんわ。

今は、変な霊にほめられとるわ。

でも本人は不快がないから、すり替わってもわかっとらんわ


情けは人のためならず。

「正しき心」から自我の好き嫌いに基準点がすり替わり、好きなものを善とし、嫌いなものを悪として、

悪を押しとどめて、善を押し広げる

嫌いなものを押しとどめて、好きなものを押し広げる

に変わってしまった。

自我が最上位に置かれてしまい、自我を「天」とし、神我「地」としてしまった。

宇宙で神が指し示しておられる道は、神我が「天」であり、自我は永遠に「地」です。

宇宙と分離してしまった結果、天地が分離し、啓示を受けられなくなった。

しかも顔写真を100万円で会員に売るに至って、あれだけ加担し、えこひいきしていた高橋信次氏も、ついに大川さんを擁護できなくなり、神道も離れた。

写真を100万円で売るなど誰か止める人は回りにいなかったのでしょうか?

あれですべての諸神霊は、完全に出れなくなったのです。

以後一人の諸神霊も出ていません。

そして霊天上界が一致団結していたとされる大救世運動は、こうして失敗していった。

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posted by 管理者 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 神理関係
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