2017年02月10日

愛の発展段階説・捕捉 2

最初、日蓮から「愛し、生かし、許せ」と啓示を受け、愛する愛を「幽界・霊界の愛」とし、生かす愛を「神界の愛」とし、許す愛を「菩薩界の愛」とし、存在の愛を「如来界の愛」とする愛の発展段階説を大川さんが説かれました。

この世で多次元世界を現出する法です。

この世に仏国土を造る礎の法のひとつです。

存在の愛の上に救世主の愛があり、この段階になりますと私の分を超えておりますので言えませんが、この救世主の愛は、大川さんが説かなければいけない。

というか大川さんにしか説けない。

存在の愛」については霊天上界の仏陀直流のご指導を受けて、かつて説いたことがあります。

存在の愛 NOTE

これは仏陀直流です。

大宇宙の存在そのものが愛であり、生命に神の法が存在すること自体が愛であり、多次元世界が存在すること自体が愛である、という三つの「存在の愛」を説きました。

どうして私が大川さんの法を解説しなければならないのか理解に苦しみますが、啓示されたので仕方ありません。

今回は私が受けた啓示「自を生かし(神界)、他を生かし(菩薩界)、すべてを生かせ(如来界)」の中にはない「愛する愛」の段階を見てみたいと思います。

これは幽界・霊界の愛であり、これを生涯実践できれば、地獄界に堕ちることはありません。

存在の愛」とある意味、対極にある愛です。

存在の愛」が如来の愛であるとすれば、「愛する愛」は一般的な愛です。

愛とは、すなわち真心と思いやり、あるいは優しさです。

儒教では「」とか「忠恕(ちゅうじょ)」と説かれてきました。

忠とは、読んで字のごとく心の中と書いて「真心」です。

恕とは、「優しさ」です。

孔子が弟子に人が生涯において実践し続けなければならない徳目とは何ですか、と問われて答えた孔子の答えがこの「恕(じょ)」です。

優しさですね。

これは人が生涯に渡って一生実践しつづけなければならない徳目であると言いました。

あの世からイエスが孔子に啓示を送ったのかもしれませんね。

イエスは中国で墨子としても生まれていますからね。

兼愛説の墨子ですが、平等に愛し合えなんてキリスト教の愛そのものです。

ただ墨子の思想は、敵を愛する楽観主義ゆえに現実主義的な中国人の霊性に合わず、その思想の流れは途絶えました。

彼はイスラエルにイエスとして生まれる前、500年ぐらい前でしょうか、中国にも生まれているのですね。

これが大川さんが説かれた最初の段階である「愛する愛」です。

忠恕、すなわち真心とやさしさです。

これを生涯、実践できれば地獄界に堕ちることはない。

この段階の人は、

あなたね、相手から真心と優しさをもって接っせられれば、うれしいですか、それともうれしくないですか

と問うと、

はい、うれしいです

と答える。

ならば、あなたがうれしいんですから、じゃああなたが相手に真心とやさしさをもって接すると、相手もうれしく感じると思いますか、どうですか

と、問えば、

はい、相手もうれしいと思います、私もうれしいですから。

と答える。

これを自己の固有の人生から価値ある心であると悟れれば、この幽界・霊界に帰天します。

少なくとも地獄に堕ちることはない。

ただこの段階は、修行者が目標とすべき段階の愛ではなく、消極的な意味において少なくとも地獄界に堕ちることはないという意味での愛です。

ところがこの段階ですらクリアできない人達が多いわけです。

理由は主に二点。

一点目は、純然とした各人の霊的未熟です。

二点目は、どれかの記事でも書いた覚えがありますが、社会制度や政治体制、あるいは経済原理がすべて利潤を目的とする諸制度になっているからです。

この世で人間に利潤を目的とさせますと、その利益を得るために人に嘘をついたり、弱みに付け込んだり、虚栄にふけって利益を水増ししたり、他人を蹴落とそうとしたり、欺いたりしていくわけです。

東芝の粉飾決算などはそうです。

そうやって利益から投資家を欺いていくわけです。

また利益の相対性から対立が生まれ、その対立から怒り、憎しみ、嫉妬、反発、憎悪、ねたみ、そねみ等々、無限に生んでいくわけです。

そういった相互の関係から自己の弱みに付け込んだり、嘘をついたりする者相手に中々「真心と優しさ」をもって接することはできなくなります。

真心と優しさ」を孔子が言われたように、あるいはキリスト教が言ってきたように、確かに生涯実践できれば、その方は地獄に堕ちることはないのです。

ところがそれができない諸制度になっている。

そしてできなければ結局、幼い魂ほど地獄界に堕ちる可能性が、高い蓋然性において出てくる。

事実、現代では半数以上もの人が地獄界に堕ちている。

信仰と悟りによって生命が進化・向上した時、これを原因(神の心・生命)として結果(神の体・物質)あらわれてくるものが、御利益であり、利益、国益です。

悟りが「天」であり、利益は「地」で天地一体ですが、現代の諸制度は、利益と国益を「天」に置き、神理を「地」に置いているわけです。

物質を「天」に置いていると言っても同じ。

物質を「天」に置く、偶像崇拝がすべての悪の源です。

だから偶像崇拝をするなと宗教では禁止されてきました。

今回の救世の法では、これを根源からすべて変えなければならないわけです。

神の心を「天」に置き、神の体を「地」に置く、天地一体の世界を創造していかなければならない。

これを飽きもせっと自己の利益で利用しようとして妨害してきたのが神道ということです。

大如来を二人とも消そうとしているわけですから、どれほどの嘘つきか分かると思う。

自分以外はみな貶めようとしている哀れな霊系統です。

尊敬されたいばかりで、人を尊敬できない哀れな系統だと思います。

富と権力をもっている者や国家にのみ口だけで見苦しいほどに尊敬する、何か欲しいからです。

神の心を「天」に置き、神の体を「地」に置く、天地一体の悟りは別名、宇宙即我とも言います。

神の心を「天」に置き、神の体を「地」に置き、その通りに生きられれば、それが「宇宙即我」なのです。

今回はゼウス神を通して文明ごと天地一体にして宇宙即我となる。

この時、大宇宙の存在そのものが仏国土であった事実を人類は知ることになる。

現実そのままが神理である。 : 西田幾多郎

現実そのままが仏国土であるということですね。

この天地一体の文明、これは仏国土と同じですが、これを具体的に実現していく政治体制が「神約民主論」ということです。

大宇宙という神を「天」に置き、神の体を「地」に置いている体制であり、宇宙の構造と仕組みとも合致しています。

これを恐らくはEUになるのでしょうが、具体的に実現していく神霊がゼウスと言われる神霊であり、法としては大川さんの守護霊である仏陀からも受けておりますので、空前の神理になっています。

ほんとは大川さんが説かなければならないのですけどね。

なんか変なことばかりやってね。

お腹くすぐってやろうかなと思いますけどね。

しかして今回は、ゼウス神と仏陀が法の根幹におられるのでこの二大神霊が、その法の偉大性によって偉大になっていくのではないか。

仏陀の法も凄いですからね。

欧米の連中は幸せ者です。

少なくとも人民共通の利益に基づいた国家契約の民主主義にしろ、唯物論と称して共産主義を取っている国家にしろ、実はどちらも利益と物質を「天」に置いているために神御自身の目から見て、許されないのですね。

許されないという根拠は目の前に在る大宇宙(神の存在)。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体です。: 高橋信次

宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である。 : 西田幾多郎


大宇宙においては永遠に神の心が「天」であり、神の体は「地」なのです。

これと逆をしているから、

あんた、間違ってるよ

と言っている。

政治体制も経済原理も価値観もすべて眼前にある大宇宙の構造と仕組みに合わせた諸制度を創造していかなければならないわけです。

これが大川さんが、いや仏陀御自身が目指していた本来の「全人類幸福化運動」ということです。

過去・現在・未来を問わず、いつだって全人類幸福化運動の柱となる神理は、

1 自他一体の悟り

2 宇宙即我の悟り

3 天地一体の悟り


この三つの悟りと理法を解明し、これを実現していく道に在る。

これも変わらぬ仏国土の造り方と言っていいでしょう。

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posted by 管理者 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 神理
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