2017年03月09日

GLAと幸福の科学 7

GLA時代の事象は、いくつか検証しておかなければならないことがあります。

GLAは高橋信次氏の死後、1、2年で分裂しています。

最晩年、彼が死ぬ3ヵ月ほど前に二代目の当時19才の佳子女史にミカエルとガブリエルが入って語っています。

GLA講演「1976年3月7日 中京春季講演会」より 名古屋市民会館 : ソース

これをどう見るか?

ミカエル自体が存在せず、後世の人間が勝手に作った架空の存在と思い込もうとする幼稚な考えはさておいてミカエルという霊存在は実在するわけであり、名前の難しさに関しては以前の記事でも書いたので省きます。

文殊菩薩も維摩詰も、この世の偽教が作った架空の人物であり、実際は存在しないと言う者がおりますが、少なくともあの世ではその名を名乗って導いてきた霊存在はあるのです。

ミカエルも同様であり、この名を名乗って西洋で悪霊を光で払ったりしています。

昔は中国やアジアでイエスを名乗っても理解できず、アラーを名乗っても理解できませんから、当時の大衆が理解している文殊とか如意輪観音という名を名乗って大衆を導いてきた霊存在はあるのです。

私も見たことがありますが、メフィストフェレスと名乗る悪魔もいるのです。

ところが言うまでもなくメフィストフェレスは、ゲーテの文学作品に出てくる架空の悪魔です。

フィクションですね。

だから実在していないのかと言われれば、実は地獄で実在しているのです。

ゲーテで有名になったため、あえてその名前を名乗っている悪魔がいるのです。

従ってメフィストフェレスの名を名乗る前は、別の名前を名乗っていたはずです。

ただその名に相当する霊的実体はあるのです。

名前というのは難しいものです。

ミカエルも同様です。

ミカエルは如来であり、通常女性には入りません。

女性の如来はいないからです。

ただ高橋信次氏の娘の方は、如来に匹敵する霊格はもっておられるようであり、通常の女性にミカエルは入りませんが、佳子女史の場合は入りました。

霊格は女性の中では最も高いものを持っておられるようです。

この点はあの世で高橋信次氏も言ってました。

みなさん、華麗な誤解をしているようですが、女性の救世主というのはいないのです。

女性の如来というのはいないのですね。

ただ神格というのが別にあって女性の中でも如来に匹敵する神格をもたれている方は何名かいるのです。

だから天照大御神が菩薩かっていうとそんなことはないんです。

如来に比肩する神格はもっている。

うちの娘もこのクラスの霊格はもっておるのです。

手前味噌で申し訳ないけれどもね、我田引水でね。

娘の自慢話ばかりして申し訳ないけれども、このくらいの霊格はもっておるのです。


・・・親ばか?

大川さんは如来に比肩する霊格をもった女性は3名いると言ってました。

一人はフランス救国の少女、ジャンヌ・ダルクであり、二人目が天照大御神であり、三人目が高橋佳子だそうですね。

私も長い金髪の後ろ姿だけですけれども拝見させて頂いたことはありますけどね。

ご尊顔は拝見させていただけませんでしたが、ヘラですね。

この三名を今はご都合主義で変えてますけどね。

確かにGLA時代にミカエルが入ってます。

しかしていくら神格をもっていたとしても19才で如来の悟りをもっていたかとなると、甚だ疑問です。

もっていなかったでしょう。

にも拘わらずミカエルが入った。

ここで分かることはこの世の人間として霊格に匹敵する悟りをもっていなくても、霊格という器さえあれば、その霊格に相当する神霊が入ることができる。

極端に言えば悟っていなくとも霊格という器があれば、その霊格に相当する神霊がその肉体に入って語ることができる。

正確に言えば「霊格と霊能力」ですね。

これさえあれば悟っていなくても諸神霊が入って語ることができる。

これが恐らく今回の幸福の科学の件でも妥当している。

GLAの方は19才ですから仕方がないとは思いますが、この時入信していたのが平井和正氏であり、彼は一番悪い時に入りましたね。

ババ抜きでババひいたようなものですね。

GLAが魔軍の総攻撃を受けている、まさにその時に平井さんは会員になっています。

平井さんは「カリスマの獰猛な物狂い」と言っていましたが、さんざん嫌な目を見たようです。

しかして本人曰く「狂信のドツボ」にはまっていた平井さんは、それがしばらく見抜けなかった。

悪魔にやられている天使軍団を間近で見たのですね。

大笑い、じゃなかった、笑っちゃいけません。

神への信仰と悟りによって生命が進化向上すれば、これを原因(神の心)として結果(神の体)上がるものが「霊格」であり、発現するものが「霊能力」です。

霊格と霊能力」は、あくまで結果(神の体)であり、原因(神の心)ではない。

これを主体とすれば神の体(物質・結果)を拝む「偶像崇拝」となる。

今回、霊道を開いた者達が全滅に近い状況を呈しているのも、すべてはこの「偶像崇拝」が原因です。

神の心とこの悟りと言った原因がない。

だから物質で奢り、そこを魔にやられている。

霊格という物質(結果)を心の物差しとし、どっちが偉い偉くないという相対観によって優越感と劣等感の両極端にぶれ、そこを魔につかれている。

霊能力を心の物差しとし、霊能力を持っている者が偉いのだ、あるいは特別なのだ、といった悪しき選民主義に陥った。

霊能力を基準とした相対的比較観から生じる驕りです。

自己都合、すなわち自我を基準とすれば、あの世であれ、この世であれ、必ず神の心ではなく、神の体(物質)に支配される。

そして物質の属性を有した思想と行動を取る。

物質の属性の一つに結果主義がある。

物質宇宙は神の表現結果であり、物質は結果を意味する。

この結果が、いわゆる「霊格と霊能力」であり、これを目的とするようになる。

大川さんは霊格はあるし、霊道も開いている。

悟りに関係なく霊格という器があれば、その霊格に相当する神霊が肉体を支配して語ることができるのはGLAでも幸福の科学でも証明されている。

そしてこの「霊格と霊能力」さえあれば、肉体人生80年の努力で悟る悟り以上の神理をあの世から無限に降ろすことができる。

霊格があっても霊能力がなければ諸神霊の言葉は降ろせないし、霊能力があっても霊格がなければ諸如来諸菩薩の言葉は降ろせない。

霊格と霊能力」双方があれば、この世の人間以上の神理をいくらでも降ろすことができる。

霊天上界にいるのですから当たり前ですが、発想がずるいのです。

この世の人間には信仰だの悟りだの努力だのお説教していたくせに、その指導霊は悟りもその努力もまるで関係のない発想をしていた。

80年、努力して悟れる神理以上の神理を、「霊格と霊能力」さえあれば、あの世からいくらでも降ろすことができる。

この間違いは、それが許されるならば、人生の意義は神の心、正しき心とはならず、霊能力となる。

神がこの宇宙で定められた永遠の人生の目的と意義が変わってしまう。

これが今回の大救世運動の失敗の原因の一つでしょう。

霊格と霊能力」さえあれば、この世の人間以上の神理をいくらでも降ろすことができるわけですから霊格の高い者ほど善ではなく、霊能力を目的とするようになる。

大日意識は、そのイエスのやり方を許さなかった。

だから失敗した。

西洋でもスピリチュアリズムで霊訓を出していますが、これはつまりあの世から人生の答え丸投げという奴です。

それが正しい霊訓ならば、その内容はみずからの努力で自力的に悟らなければならない。

そのために神は大宇宙という修行場を作り、我々に永遠の生命を与えている。

この目的に反したことをしていた。

あの世から答え丸投げ。

しかも人間の努力や信仰など関係のないやり方をしていた。

だから「霊格と霊能力」、この結果主義で救世運動は失敗した。

結果ですから方便でしょう。

方便は有限ですから有限を逸脱して失敗した。

このやり方は、原因(神の心)、つまり初めから神と悟りを軽んじておりますので、GLAでも幸福の科学でもその悟り不足から軒並み道を逸れています。

このやり方は、神と悟りを軽んじておりますので諸神霊が出れるうちはいいですが、悟りに問題がありますとすぐに富や権力、地位や物質的繁栄に心が捉われ、物質を「天」に置く「偶像崇拝」に陥り、諸神霊も指導できなくなる。

富という相対的なものを絶対化し、御利益を絶対化し、物質を「天」に置き、宇宙と分離され、天地も分離して諸神霊からの指導も止まり、救世運動は失敗していく。

幸福の科学は昔は「愛、無限」と言っていたのですが、今は「富、無限」と言って名刺に刷るんだそうです。

無限の富を、あなたへ

大笑い。

教祖が相対的な自我を絶対化すれば、神の体の方面に支配され、この結果主義を身につけ、その物質の属性をもつ思想と行動を取ります。

結果主義とは、ノルマでも出ますし、魔認定でもでます。

数字しか見ない、結果しか見ない、言い訳は許さない

これは教祖の傲慢であり、こう言われた支部長などは本来は会員の心を幸福に導きたいのですが、ノルマをこなさなければ首になりますので、むしろ会員から収奪する傾向があらわれます。

数字しか見ない、結果しか見ないと言われますので、首になるわけにもいかず、そのうちその数字を捏造し、結果を偽装し、嘘をつく人間にもなっていきます。

これも教祖が慢心したからです。

教祖が自我を絶対化したために神の体に支配され、物質の属性である結果主義や物質は利益を意味しておりますので富を最上位に置いたりします。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体です。

神の心が永遠に「天」であり、神の体は永遠に「地」で天地一体です。

正義が「天」であり、利益は「地」なのです。

慢心とは相対的なものを絶対化することですから自我という相対的なものを絶対化し、神の心ではなく、神の体の方面の支配を受け、神の体、すなわち「物質」を「天」に置き、その瞬間、大宇宙(神の存在)と分かれていきます。

すると諸神霊からの指導も受けられなくなる。

富を「天」に置いた「偶像崇拝」は、大宇宙と我を分離させ、あの世の「天」とこの世の「地」を分離させていく。

そうなりますと、もはや「法の編纂」とは言えなくなる。

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posted by 管理者 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 神理関係
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