2017年09月13日

神の存在 3

今回の「救世の法」において従来の真理と決定的に異なっていると言える点とは、その神とは何かが正確に説かれる点であり、今までのようにアラーを拝む、あるいはイエスを拝むと言った個人崇拝型の方便神への信仰は以後の未来では終りです。

アラーやイエスと言った方便の神、この「主」ではなく、「従」の方便神を今まで、特に中東では拝んできました。

「従」に過ぎないイエスやアラーを「主」と呼んできたようですが、これが宗教戦争の原因の一つであり、大宇宙、すなわち神の目から見ますと、「従」を「主」と呼んでおりますから主従逆転の信仰、いわゆる天地逆転の信仰となり、宇宙の理法と離れてきます。

物質宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である ; 西田幾多郎

神の心(生命)が「天」であり、神の体(物質)は「地」で永遠に天地一体です。

大宇宙が「主」の神であり、アラーやイエスは「従」の神です。

この「従」と「主」を今までは逆転したような信仰を、主に中東ですが、してきたわけです。

神道もこれですが、大体日本と中東系の宗教はそうです。

大宇宙の真の「主」の神、この「救世の法」の中核の神とは、永遠という意味において5つの条件を満たしていなければ、今後「主の神」とは認められない。

主の神」とは、第一に眼前の大宇宙創造の当事者であること。

主の神」とは、第二に完全な正義であり、完全な善であり、完全な真理であること。

主の神」とは第三に地球のみならず、大宇宙に生きる全ての神の子達の普遍的な「人生の意義」であること。

主の神」とは第四に歴史の究極目的であること。

主の神」とは第五にすべての矛盾と対立を永遠に統一止揚している存在であること。

換言すれば、大宇宙に生きる神の子達の生命の根源的本質であり、平等を平等たらしめている唯一の根拠であること。

この五点を満たしていなければ、「主の神」とは言われない。

すなわち信仰の対象とはなりえない。

今までは方便の宗教ばかりでしたから、この信仰の対象たりえない存在を信仰の対象としてきており、またそれが宗教戦争の根源の原因になっている。

例えばキリスト教ならば、イエスを信仰しておりますが、イエスは上記の神の要件である5つの要件をすべて満たしていない。

イエス・キリストは、第一に大宇宙創造の当事者ではないから神ではない。

第二に完全な真理を説いておらず、その法の質が方便にとどまっており、善の有効範囲は方便の善ですから「有限」です。

有限を無限化すれば、地獄界の創造主となる。

完全な真理を説いていない点、神と異なりますから、イエスは神ではない。

大体、誰も完全な真理は説けないように神が人間をそう作っているのですけどね。

第三にイエスは、この大宇宙に生きるすべての神の子達の普遍的な人生の意義とはなりえない点、神とは言えない。

神の子達は、すべてイエスのために生きているわけではなく、各人の生命に着座している神の心を悟らんがために生きており、生命の本質である神以外に普遍的な人生の意義とはなりえない。

地球人がすべてイエスのために生きている、換言すればイエスの心を知ることが「人生の意義」であり、人類共通の普遍性を有した存在であるというならば、ではその肝心のイエス自身は誰のために生きているのか?

イエス・キリスト自身の「人生の意義」とは何か?

イエスを「人生の意義」とすれば、当のイエスの「人生の意義」を説明できない矛盾に陥ることになる。

普遍的な「人生の意義」とは、生命の本質に在る神の存在のみであってイエスも人類も地獄霊すらも、これを知らんがために修行をしている。

大宇宙創造の当事者であるゴッドそのものが唯一すべての神の子達の普遍的な「人生の意義」となる。

人類普遍の共通した「人生の意義」としてイエスは成り立たないがゆえにイエスは、神とは言えず、方便の神の1柱に過ぎない。

第四にヘーゲルの言った歴史の究極目的とは、神そのものであり、ヘーゲルは絶対精神と言ったけれども、これは大宇宙に生きるすべての神の子達を永遠に統一している存在であり、西田哲学では思惟の根底に在って無限に統一しているある者と神を呼んでいる。

ヤコブ・ベーメは、これを神とは底が無い「無底」と言い、ニコラウス・クザヌスは「反対の一致」とこれを呼んだ。

歴史の究極目的とは、神であると正確に歴史を読解したのがヘーゲルであり、この究極目的たる神の心には、歴史を通して一歩一歩進んでいくしかない存在であり、カントは、最高善はこれを人間は認識できないと言った。

人間は、たとえ四聖人であろうともこの地上に人間として修行している限りは、やはり神とは言えないがゆえに当然、歴史の究極目的とはなりえない。

神は歴史の究極目的として永遠に存在しているけれども、イエスは方便神であり、歴史の究極目的とはなりえない点、やはり神とは言えない。

大体、あの世の霊格を振りかざすならば、イエスも私も神の評価では大して相違ありません。

その私が神のわけないでしょってこと。

すなわちイエスもアラーも本来、神ではないわけですから信仰の対象とはなりえない存在なのです。

第五に神とは人間が作り出すすべての矛盾と対立を永遠に統一止揚している存在ですから、当然それは大魔王即大如来としての神でなければ嘘になります。

イエスの生命の本質と大魔王の生命の本質は、直ちに同一であり、同じでなければならず、その根源から同じ存在としているのが、神です。

もし神なくばイエスと大魔王の二つの平行線は、永遠に交わらない。

天国と地獄の平行線は、永遠に交わることはなくなる。

天国と地獄の両世界は、永遠の世界となる。

しかして実際は、神は地獄界を創造しておられない。

天国と地獄を結合させている存在が神の存在。

イエス・キリストの生命の本質にも神の存在はあり、大魔王の生命の本質にも実は神の存在が在る。

この神の存在においてのみ天界・現界・地獄界の三千世界の全霊人は、永遠に平等である。

大魔王即大如来であり、イエスの本質である神の心と大魔王の本質である神の心は直ちに同一であり、何の差異も欠落点もない。

この平等の神の心を悟れば、なくなる世界が地獄界。

この平等の神の心を悟っても、悟ってもなくならない世界が霊天上界。

神の心を悟ってもなくならない世界が霊天上界、なくなる世界が地獄界。

ならばなくなる世界は実在とは言えませんから、地獄界は神の造りし世界にあらず。

神の心を悟れば、なくなる世界だからです。

過ぎ去り、なくなり、消滅する世界が実在の世界のわけありません。

地獄界は目の錯覚である。

すべての矛盾と対立を統一止揚する存在が神ですからイエスは大魔王と対立し、イスラム教徒と対立し、天国と地獄の両世界の生命の根底に永遠に常住している神とは言えませんから、実相の神とは言えない。

やはり方便の神であり、「従の神」です。

これを「主の神」とすれば、それが地獄の創造主となり、信仰の対象とすれば、それが宗教戦争の原因ともなる。

イエスだけではありませんが、方便の神というのは、すべて上記の5つの点を周延していない。

イエスは大宇宙創造の当事者ではないし、完全な正義を説いているわけでもない。

イエスは全宇宙に生きるすべての神の子達の普遍的な「人生の意義」とはなりえないし、歴史の究極目的でもない。

また矛盾と対立を永遠に統一止揚している存在でもない。

このように大宇宙のゴッド、「主の神」たる真の信仰の対象である神御自身は、上記5つの要件をすべて満たしている。

すなわち神御自身は、大宇宙創造の当事者であり、完全な真理であり、大宇宙に生きるすべての神の子達の「人生の意義」であり、歴史の究極目的であり、大魔王即大如来としての永遠の神である。

今後、信仰の対象の中核となる存在は、この5つの要件をすべて満たしている存在のみであり、これを遵守している存在のみ方便の神として、また「従の神」として主従一致、実相即方便の神として認容されうる。

宗教家ですら多くは眼前の大宇宙が神だという事実すら知りませんので、まずここから辺から修正していかなければならないわけです。

今後、神を名乗る不届き者が出てきた場合、上記5つの条件を満たしている存在かどうかを検証することです。

絶対に満たしていませんからね。

満たしているのは眼前の大宇宙だけなのです。

だから神は信仰の対象、本当は神は「対象なき意志」ですけど、そう言った方が分かりやすいでしょうからね。

5つの要件を永遠に満たしているのは、大宇宙のゴッドだけなのです。

だからその神を名乗る方は神ではないということなのです。

安易に神の御名を語れば、堕地獄ですよ。

宗教家では多いですけどね。

神や真理を舐めすぎですね。

悟ってもいないのに偉そうにね。

先生と呼ばれたら、すぐ先生になってござる。

菩薩と呼ばれたら、すぐ菩薩になってござる。

如来と呼ばれたら、すぐ如来になってござる。

ほとほと、困ったもんであるぞ、と。

救世主と呼ばれたら、すぐ救世主になってござる。

大マイトレーヤが降誕しているんだ、と。

俺が世界教師で、ワールド・ティーチャーで、マイトレーヤーなんだ、と。

まぁ、言っとるわ、まぁ、言っとれや、まぁ、勝手にイットレヤ、マァ言ットレヤーみたいな奴ばっかりで。

マァ、カッテに、言ットレヤーのマイトレーヤーで。

今後の未来は、眼前の大宇宙の構造と仕組みの解明、多次元世界の構造と仕組みの解明の歴史となりますので、今までのような個人崇拝型の宗教はなくなっていくでしょう。

というか成立しなくなる。

神の心を正確に人類が理解するからですね。

神の心と真理を正確に理解し始めれば、既存の宗教は成り立たなくなります。

成り立っているのは、神の存在とその心を正確に理解していないがゆえに既存の宗教は成り立っているということです。

すなわち既存宗教は、神への無知によって成立している。

従って神への正確な理解が進みますと、既存の宗教団体は成立しなくなるでしょう。

すべて崩壊していくであろうと思われます。

これがお釈迦様の意図しておられた「救世の法」の真骨頂なのですね。

この「法の編纂」ということです。

仏の法を、人類が正確に疑おうにも疑い得ない知識において理解していけば、既存の宗教団体はすべて成立しなくなり、崩壊していくということです。

そのための「法の編纂」です。

大宇宙と多次元世界の解明の歴史とは、要は神そのものの解明という歴史であり、この目的としての神の存在、いわゆる大宇宙の絶対的な権威を確立していかなければならないわけです。

これが人類と世界の目的となるからです。

では具体的に、どう大宇宙の絶対的権威の確立、生命の本質の客観化、神の存在の永遠化を実現していくのか?

当然、神約民主論国家実現を通して実現していくわけですね。

これが民主主義の進化体制である「神約民主論」ということです。

この政治体制は、神の国そのものですが、プラトンとアリストテレスの合作です。

彼らが導いてくれたのです。

西洋系って上は真面目な人が多いでしょ?

低い霊域ですと、お前、もうちょっと真面目にやらんとあかんど、みたいな人も多いですけどね。

上は真理に対しては真面目ですね。

これは今回の西田幾多郎博士にも出ていると思う。

彼らのおかげで地球とその未来は、何とか救われそうです。

この題は、まだ続きます。

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