2017年06月11日

神のA級敵国条項

神道の犯罪は恒常化しており、やめませんので相手にしたくないわけであり、事実諸神霊は、もはや相手にしていないわけですが、「まだ、やってるのか」というショッキングな事件がありましたので、少し扱います。

準強姦事件のもみ消しです。





強姦されたのは、家族の要望により苗字は伏せられていますが、「詩織さん」という方です。

随分と勇気のある方です。

顔を晒しています。

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レイプ事件というのは、密室での出来事のため立件が難しく、以前に見て感動した「リップスティック」という映画を思い出しました。

最期は強姦犯は主人公に銃で撃たれ、それが無罪になる映画だったと思いますが、聴衆がスタンディングオベーションで終わる感動の映画であり、現実の強姦事件でも裁判で勝訴することは難しい。

強姦で批難されているのは、この「山口敬之氏」です。

この方ですね。

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随分と偉そうです。

テレビは洗脳電波ユンユンのため、ほとんど見ないのですが、よくテレビ出演をしているジャーナリストのようであり、本人かどうかわかりませんが、北朝鮮関連の報道で少し見たことがあるような記憶があります。

この記事によれば安倍首相と懇意のようです。

安倍暴政にトドメを刺す週刊新潮の山口敬之準強姦疑惑記事 新党憲法9条

ベッタリ記者とは元TBSワシントン支局長であり、現在は「安倍総理」を擁護する論評をテレビや新聞でまき散らしているフリージャーナリストの山口敬之の事である

「準強姦」とは被害者である詩織さんという女性が5月29日に記者会見を開いて告発した、山口敬之に対する逮捕状の罪名である。

意識不明の詩織さんを都ホテルに抱きかかえて運ぶ姿まで防犯カメラではっきりと映っているのだ。

より深刻な事実は、告訴状を受理した高輪署が、あらゆる証拠をそろえた上で準強姦罪の逮捕状を準備したのに、直前になって中村格(いたる)警察庁刑事部長(当時)の指示で逮捕が見送られたという事だ。

中村という警察官僚は菅官房長官の秘書官だったという。


すべて安倍首相がらみです。

この山口氏逮捕を差し止めた中村格氏は、「I am not Abe」と報道ステーションで色紙を見せた古賀茂明氏に激怒し、降板させる圧力をかけた人と言われています。

安倍総理ー菅官房長官ー中村格ー山口敬之

みなお友達でつながっているのですね。

準強姦事件をもみ消すなど独裁とはよく言ったものです。

利益と快楽という「悪」を旨としている霊団ですので、安倍総理に不利益な報道や事実は、全力でもみ消そうとする。

利益と快楽から独裁は生まれるということです。

安倍総理に巣食っているのは、神道ですから、こういった犯罪を始終、日本国中でやっているのですね。

国民レベルでも、その異常性を森友や加計学園でそのタチの悪さを思い知ったのではないか。

一般の議員レベルでも何か恐ろしい悪に接したかのように頭に来て怒っています。



あの温厚な森ゆうこ議員でもここまで怒る。

すべて背後にいるのは、天之御中主や天照、あるいは谷口雅春etcですが、私はもうとっくの昔になれていますが、初めて直に触れる人は、その異常性にショックを受け、頭にくるでしょうね。

表面で善ばかり言っているくせに、そのタチの悪さはエベレスト級です。

それはそれは凄い支配欲であり、自我です。

こんなのが古事記や日本書紀で、主宰神であるとか根本神を名乗ってきたわけです。

先の大戦でもその行いを見れば分かるでしょう。

防空法で国民を焼夷弾が降り注ぐ空襲から逃がさなかったり、桜花や回天などの神風特攻隊で国民の命を自由にしたり、中国でもアジアでも同じことをしていた。

そしてそれを命令した者は一切責任を取らず、逃げようとするし、天皇は逃げた。

防空法で空襲から逃がさなかったように、放射能汚染地帯からも国民を逃がさないでしょう。

今回も森友や加計で必死で逃げているでしょう。

みなあの世的には神道が背後でバックアップしている。

憲法改正も安倍総理の主張ではなく、あの世にいる谷口雅春の主張です。

戦後の憲法が諸悪の根源とし、だから憲法を改正しなければならないと言っていたのは谷口雅春であり、安倍総理はあの世で使われているだけです。

戦後の憲法のせいで自由に支配できなくなったのです。

バカボムと言われた神風特攻隊もできなくなり、自由と平等のせいでかつてのように支配できなくなった。

それを元の明治憲法下に戻そうとしているのは、かつてのように国民を自由に支配したいためです。

だから憲法改正を言っている。

この記事でも触れましたが、神道に接した者は、すぐにその異常性を認識します。

南京事件 2

この方は弁護士の方ですが、森ゆうこ議員の気持ちが理解できるかもしれません。

国連軍は神道カルトと呼んでいましたが、私はサイコパスとよんでいます。

その国体思想にでています。

日本の中心は天皇であり、ちなみにその天皇の霊的背後にいるのは神道ですが、日本は世界の中心である。

すなわち天皇が世界の中心であり、その天皇の背後には神道がおりますので神道が世界の中心と思って信じ込んでいる。

まさにサイコパスです。

こういった異常思想をもっているから、すべてを自己中心で考える。

サイコパスとは、異常に自己中心的で、南京はなかった、従軍慰安婦はなかったと慢性的に嘘をつき、嘘をついているくせに後悔もなく、反省もなく、罪悪感もない。

加えてヒトラーと同盟を組んだり、アジア人2000万人を虐殺したりといった自己の行動の一切に責任が取れない、これをサイコパスと言う。

これを連合軍は神道カルトと呼んでいた。

明治憲法下の日本では、生長の家は威勢が良かったですからね。

暴支膺懲(ぼうしようちょう)だの支那膺懲だのと言って散々侵略戦争を煽っていました。

あの時代に密かに戻そうとしている。

性質は全然変わっていません。

自我のハイパーインフレ化であり、誰かさんとそっくりです。

これが、

日本は凄い

日本は偉い

日本は強い

とてつもない底力をもった国、日本。


とか自画自賛するわけですが、実は日本ではなく神道のことを指している。

神道は凄い

神道は偉い

神道は強い


が正解。

あぁ、神道よ、どうしてお前はそんなにも全世界から尊敬され、うらやましがられ、信頼されてるんだぁー。

世界が恋する神道の美徳。

どうして全世界の人達は、「早く、神道になりたぁーい」と叫ぶのか、そのワケ。

今、神道を仰ぎ見る国が、どんどん増えている。


かつてこういった異常者共の支配欲で、日本の国民は戦争に駆り立てられたのです。

それが現代では、一般国民レベルでもその異常性が認識されつつあります。

かつての侵略戦争時代には、まるで国民は理解できていなかったのです。

「異常な政権」を援護する「異常なメディア」 半歩前へU

政権の私物化、もっと言えば国家の私物化を「見過ごしてはならない」と、言論機関が本腰を入れて加計疑惑の解明に乗り出した。

安倍政権は首相本人ばかりか、その妻までが政府を私物化し、好き勝手なことを繰り返している。

ひと昔前のフィリピン大統領マルコスの妻、イメルダに匹敵する出過ぎた、恥ずべき振る舞いである。

こんなことを許せば日本は崩壊する。

一個人によって国家がズタズタにされる。

そうした中で「異常な政権」を援護する「異常なメディア」が存在することに欧米のマスコミは、「日本はいつから北朝鮮になったのか」と奇異の目で眺めている。


広瀬隆氏の言っていた「私物国家」です。

正確には神道の私物国家です。

日本を取りもろす」とは、国民に主権を奪われた日本を神道が取り戻すという決意です。

決して神意でも神理でもありません。

彼らは神を信じたことはない。

神とは自分達のことを言っている。

その目的のためには手段を選ばないマキャベリズムです。

手段を選ばないから、この霊系団は密室で犯罪ばかり犯すのです。

これが森友や加計でうっすらと現象化してきている。

神への信仰も関係なければ、悟っているとかいないとかも関係ない、ただただ権力と金と地位に巣食おうとする。

これが日本の主宰神であり、根本神です。

だから東芝だけではなく、財閥系統も政治家もメディアも巣食えるところはどこでも巣食っています。

金のあるところには必ず暴力団がいるというでしょう。

あの世的には、あれと同じです。

だから日本映画は、極道関係の映画も多いでしょう。

大宇宙の権威に戦争を売ってきたわけですから、「神約民主論」国家体制下では、こういった神道系とそのお友達集団は、2000年ほど「神のA級敵国条項」に指定する予定です。

大宇宙の絶対的権威は、最低でも2000年は続きますのでね。

私の死後、利用などということを考えてもらっても困りますのでね。

利主神従は、地獄の創造原理ですのでそれを許容するなどということはない。

何故、指定されるかは、本人らが胸に問えば分かる。

日本は既に国連から「敵国条項」に指定されていますけどね。

今度は諸神霊から「神の敵国条項」に指定されることとなる。

性質は何も変わっていない限り、この条項を富で外すのは危険です。

ヒトラーと同盟を結び、南京大虐殺や従軍慰安婦や三光作戦を実行し、したくせにそれを「なかった、なかった」などと平然とセカンドレイプをしているような者達など信用できるか、ということですね。

この「詩織さん」のレイプ事件も密室である限り、物的証拠は難しいでしょう。

物的証拠には実に敏感な系統ですからね。

いつものように誤魔化すならば、それは以後もまたこの方に対するセカンドレイプを生むことになる。

神道は、お手のものかもしれませんんけどね。


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2017年06月10日

一念三千

主客合一を悟るとは、人間とは何かを悟ることであり、この主客合一の法則の中に人間とは何かが永遠に定義づけられている。

世界の構造と仕組みの中に人間とは何かの永遠の定義が組み込まれている。

実は大宇宙の存在そのものが、人間の存在を永遠に定義づけている。

この世では、

見られる世界(客観)は、見る者の心の世界(主観)で主客は永遠に合一している。

あの世では、

見られる菩薩界というその世界は、そこに住む菩薩の心の世界であり、主客は永遠に合一している。

見られる地獄界というその世界(客観)は、そこに住む地獄霊の心の世界(主観)で主客は永遠に合一している。

天界・現界・地獄界の三千世界をぶっ通しで貫かれている永遠の法則であり、世界の仕組みである。

主客合一は、あの世とこの世を貫いている。

見られる世界は、見る者の心の世界 : 西田幾多郎

三界は唯心の所現、心外無別法。

天界・現界・地獄界は、すべて心のあらわれであり、心の外に別に法なく、存在なし。

地獄界をなくし、この世界を仏国土にしたいならば、心を良くすることだ。

わが心を知ることだ。

肉体を自分だと思えば、その肉体は80年で死を迎え、土に帰っていく。

肉体を自分だと思えば、死後の世界は無と同義。

死後の世界を否定する者の根拠とは、これ肉体観。

自分を肉体だと思っているがゆえに、その肉体は80年で死を迎え、葬式によって焼かれて骨となり、土に帰り、なくなるように見えるがゆえに死後の世界を否定する。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体である : 高橋信次

神の心が「天」であり、神の体が「地」で永遠に天地一体である。

あの世が「天」であり、この世が「地」で永遠に天地一体である。

神理とは天地を貫いている価値を言う。

ではあの世はどこに在るか?

一人一人の表面意識の奥、自我の奥、現象我の奥、すなわち潜在意識に在る。

表面意識が悪、潜在意識が善、これを悟ったならば、悟りの境地に入ったと見て良い : 高橋信次

潜在意識(霊天上界)が「天」であり、表面意識が「地」で天地一体であるが、悪霊の憑依現象とは、この潜在意識(霊天上界)とこの世の人間の表面意識が分離している天地分離の状態を言う。

肉体を自分だと思うならば、その肉体はあの世には持って帰れず、天地は分離する。

天地分離は神理にあらず。

従って人間を肉体と定義するのは間違っている。

人間を肉体ではなく、生命と定義するならば、その生命は元々この世とあの世を貫いている。

この世で作った自己としての生命は、そのままあの世に持って帰ることとなる。

生命は永遠に、あの世とこの世の天地を貫いている。

否定しても無駄。

自己を悪として作りたるならば、悪の世界へ。

自己を善として作りたるならば、善の世界へ、永遠に向かうこととなる。

悪には程度の低い悪とタチの悪い悪とがあるが、この世の人生経験を通してタチの悪い悪としての自己を作りたる者は、深き地獄に堕ち、千年、二千年と長期間その世界に住しているうちに、それが俗に言われるサタン、いわゆる悪魔と言われる存在となる。

元は人間であり、神の子として修行していた者達であるが、何を迷ったのかそういった世界に赴く者達も一部いる。

しかして彼らもまた神の子。

ただサタンクラスになれば、元々が生前、政治家や財界人、あるいは軍人や宗教家といった影響力のある立場にいたために異常に自我が強く、念も強いために地獄に堕ちても反省しない。

自我と支配欲の強さだけは、テキサスサイズのエレファント級です。

この世でもいると思いますが、そういった者達が死後、サタンと言われる存在となる。

サタンクラスになりますと、この世の人間の説法ぐらいで反省することはなく、救うこともまた難しい。

高橋信次氏は、「人間の最後」という言い方をしていたと思いますが、諸神霊の言うことでも聞かず、むしろ敵対してきます。

神はサタンも地獄霊も作ってはいないのですが、この世の色々な理由で心を極端に歪めた結果、そういった霊も一部出てくる。

地獄霊やサタンも、また神を宿した神の子。

しかして神を宿してはいるのですが、その自己の本質を知らない、神を知らない、すなわち無知である。

知らない者は迷い、知る者は迷わない。(迷即悪、知即善

だからハイスピリットの場合、「彼らは、迷ってるんです」という言い方をする。

何に対して迷っているか。

自己の本性なるものが神の子である事実を知らない、神の心を知らない「迷子」です。

故郷を忘れて久しく、迷子ですから友人の待つふるさとである霊天上界に帰れない。

この世でも迷子は、警察官が自宅に帰そうとするが、この警察官が俗にハイスピリットだの諸神霊だの諸如来・諸菩薩だのと言われている。

またサタンや地獄霊とは、登山をしているうちに遭難してしまう遭難者とも言える。

頂上を目指しているうちに脇道を逸れ、来た道も目指すべき道も分からなくなり、山を登っている内に遭難してしまう。

宗教家ではこれが多い。

神の心、その悟りを目指していたはずなのに目指している内に、こちらの道の方が近道ではないのか、あるいは楽に登れるのではないかと錯覚し、真っすぐに向かえばいいだけの道を、あちらこちらと逸れ、逸れているうちに神の心、その頂きすらも分からなくなり、遭難してしまう。

しかしてこの時でも諸神霊は、ヘリコプターを飛ばし、救助隊を送り、何とか救おうとしている。

主の前に道をまっすぐにせよ、さすれば盲人でもその道を歩みやすくなる。

しかして悟りの未熟なる盲人は、その真っすぐの道を、右に折れ、左に折れ曲がり、逸れていく。

主の道の両脇からこちらの方が楽だぞと様々に誘惑する者達もいる。

今回はこの潜在意識、いわゆる霊天上界の構造と仕組みが大雑把ながらGLA以降、明らかになった。

幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界etc・・・

霊天上界最下段の幽界の下段階を地獄界と言い、ここに30億人の霊人が堕ちている。

幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界は、一にして多、多にして一、平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具している。

幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界まで神の存在において一点、「一」でくくられているが、同時に「多」としてあらわれている。

幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界までの全霊人は、神の存在を宿している点「平等」であるが、この平等の神の心に各人が向かう、その各人の努力も公平に評価されていくべき世界が決まる。

幽界人の生命の本質も神であり、宇宙界の霊人の生命の本質も神であり、完全に平等であるが、この心に向かう各人の努力はすべて違う。

万人が同じ努力をすることはない。

経営をやらせても、政治をやらせても、試験をやらせても同じ点数を取ることはなく、同じ利益を上げることもない。

徒競走をやらせてもみな同じタイムを出すことはない。

神に向かう各人の努力は千差万別であり、均一の努力をしないためにそれを公平に評価すれば、結果として幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界となる。

神の心を基準としても同じ。

ある者は50の努力をし、ある者は100の努力をする、またある者は神の心に対して1000の努力をする者もいる。

それを公平に評価すれば、GLAが説いた一即多、多即一の多次元世界となる。

ただ神理の世界とその他の世界との努力の相違があり、神の体の世界の努力は、ある意味不公平であるが、神の心の世界はこの世でも公平です。

努力してきた者以外、絶対と言っていいでしょう、高い神理は説けないのです。

利益の世界では、努力なくして巨万の富を得たり、努力をしても富を得られなかったりと不公平な世界となっていますが、神の心の世界だけは、この世でも完全に公平です。

努力してきただけの高い神理を説けるのです。

努力してきていない者達は、説けないのです。

公平が守られているわけですね。

努力をしてきていない者は、残念ですが、高度な神理を説けないことになっています。

もちろん霊格という問題も含んでおりますが、霊格があっても努力をしてきていない者達は低い神理しか説けず、霊格に見合う悟りを得ているかどうかは、霊格次第ではなく、地道な努力次第です。

これは皮肉にもGLAと幸福の科学やその弟子達に出ています。

菩薩だの梵天だの、あるいは過去世のどうでもいい有名人の名前だの語り、威張っているくせに、その悟りを見てみれば低すぎて話にならない。

あまりにもその悟りが低過ぎて吐き気すらする。

善川三郎もそうでしたが、その悟りが一般人と変わらず、むしろ一般人の方が高い善を説いているのではないか?

こいつらほんとに菩薩や梵天なのかと思ってます。

菩薩や梵天と言いますと、私の中では偉いというイメージがあるのでね。

それと適合している者を、少なくとも私は見たことがない。

肉体というハンデは承知しており、あの世のようにはいかないのも分かりますが、それにしてもあまりにも悟りが低すぎる。

神理で地道に努力してきていないのが丸わかりです。

神の名を語ってデタラメをやっているわけですから、それは自己の生命が責任を取ることになるでしょう。

天使があのレベルなら、救世は無理でしょう。

救世運動は、ゼウス神が起こすでしょうね。

真面目に神理探求をしてきたのは、日本では私と西田博士ぐらいではないか。

西洋系の諸神霊は、みな真面目です。

それは悟りに出ていると思う。

一々どこがどう間違っているのか批判までする気はありませんが、「法の編纂」という話で出てきているわけです。

人類史上究極の神理を残す使命があるわけですが、あれでは説けないでしょう。

まぁ、ゼウス神にまかせることです。

一念三千」とは、GLAでよく説かれていた道ですが、仏教的には塵と埃にまみれてしまい、衆生には分からない法になっている。

仏教では、一念に10の法界があり、これに10界が加わって「100界」となり、さらに「十如是(じゅうにょぜ)」が加わることで「千如是」となり、千如是に「三世間(さんせけん)」が加わり三千世間となる。

理解できるでしょうか?

GLAの方が分かりやすいし正確です。

3とは割り切れず、1000とは多いという意味であり、三千とは「心の無限性」を意味している。

心の思いは無限に世界を造り、その思いの針は始終絶え間なくぐるぐると動いている。

1日24時間を取っても、思いの針は、あちらこちらにぐるぐると動いている。

しかして神の造られし世界では、その思いの針が指した世界に通じ、天国を指せば、心は天国となり、地獄を指せば、そのおのが心が地獄となる。

心は世界そのものであり、心の思いの針が指している世界を自己のただ中に造る。

その思いの一念が、自己を造り、仏国土を造る。

神の心は太陽のように、あるいは北極星のように永遠に動かない。

一念三千」とは、その思いの針、この一念を常に仏の心に合わせ、おのが心に仏の心を作る。

仏国土は、まず一人一人の心の中で造られる。

おのが心に仏国土を造れない者は、この地上世界に仏国土を造ることはできない。

思いの一念が、地獄を造り、思いの一念が幽界を造り、思いの一念が菩薩を造り、思いの一念が如来を造る。

一念が三千世界を造る。

一念がこの世に地獄界を造り、一念が仏国土を造る。

人類の幸不幸は、人類各人の思いの一念で決まる。

GLAではこういったことが説かれていたと思いますが、潜在意識の全容が宇宙界まで説かれているわけですから、これだけではいけない。

その思いの針には、長短があり、細い太いがある。

悟り低き者は、幽界と霊界までしかその思いの針が届かない。

霊界どまりの針は、信仰なき場合、そこで360度ぐるぐると永遠に回り続ける。

人類の半数以上もの人達が地獄界に堕ちているということは、この「思いの針」が、この一念が、地獄界を指しているということだ。

正法とは神の心とおのれの心を同じくする、これだけです : モーゼ

ところが悟りによってその「思いの針」は長く太く伸びていく。

霊界どまりの一念が、悟りによって神界まで伸ばすことができる。

これは100人が100人可能な道。

菩薩ならば、悟りによって菩薩界までその一念、思いの針を長く太く伸ばすことが可能。

悟りは思いの針を長く伸ばし、伸びた一念は、更に太くなる。

如来ならば、悟りによって如来界にまでその思いの針を伸ばし、太くすることが可能。

思いの針、この一念を常に仏の心に合わせ、仏の心を悟らんとする。

悟った分だけの思いの針が、長く太く成長していく。

永遠に停滞している仏の心にあわせるのではない。

常に我々人類の心と共に無限に成長している仏の心に一念を合わせる。

人類各人の悟りは、直に宇宙のゴッドの発展を完成させる。

ちなみにここで言う仏とは、宇宙のゴッドであり、正しき心であり、神そのもののことを言っている。

思いの針、この一念を地獄にあわせたとて心が成長することはなく、思いの針が長く、太く成長するわけでもない。

我々は神の子であり、仏の子ですから仏や神の心に思いの針を合わせずして、おのが心を成長させ、悟りによって向上せしめることはできない。

すなわち我々人類の心を進化向上させる心とは、神の心以外にはないということだ。

神の心のみが人類の心を豊かに成長させる。

神の心が「天」であり、地上人間の心が「地」で天地一体であり、この天地一体を顕現させる道こそが、まさに「一念三千」と言える。

一念は天と地のかけ橋であり、悟りはその思いの針を長く太く成長させる。

一人一人の思いの針を長く太くしていく道こそが、仏国土顕現の道と言っていいでしょう。

一念を地獄に向けたとて、ある程度の学習材料にはなるであろうが、それ自体が思いの針を成長させるものでもあるまい。

仏に一念を向けた時にのみ、我々の心の針は長く、太く成長し、その思いの針が造る世界こそが仏国土である。

神の国が神の心を無視してできると思うか?

仏国土が仏の心を無視してできると思うか?

我々地上人間の心を通して神がこの地上に神の国を造る。

我々地上人間の心を通して仏がこの地上に仏国土を造る。

ならば我々の思いの針、この一念は常に神と仏に向けねばならぬ。

一念三千」とは、一念(主観)と三千世界(客観)は同じであり、一念即三千世界(主客合一)ですが、一念と仏国土は同じであり、一念即仏国土とも言える。

かつてハイスピリットであるシルバーバーチは、火花の中に大宇宙が存在すると言った。

一念の火花の中にのみ仏国土は存在する。

その一念の思いの中に仏国土なくば、永遠に仏国土はあわられない。

その思いの一念の中に仏国土はあり、その一念がすべてを潤す仏国土を造る。

これを信仰と言う。


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2017年06月07日

GLAと幸福の科学 13

救世の母体」の問題は、要は過去、誰もその模範を実践しておりませんので前例が全くない。

ただ言えることは「救世の母体」というのは、如来の悟りが最低限必要であり、菩薩では「救世の母体」を作りえないというのは言えます。

菩薩が「救世の母体」を造ろうとすれば、堕地獄となります。

基本は実在論です。

統一と矛盾は一実在の両方面であり、統一がなくなれば矛盾もなくなり、矛盾がなくなれば、また統一もなくなる。

統一即矛盾であり、統一と矛盾は一実在の両方面 : 西田幾多郎


生命が統一であり、物質が矛盾です。

生命即物質で生命と物質は一実在の両方面。

正義が統一であり、利益や国益は矛盾です。

正義即利益、正義即国益で正義と国益は一実在の両方面であり、切ったら実在とはならず、自我となる。

神の心が統一であり、神の体が矛盾です。

神の心即神の体で神の心と神の体は一実在の両方面です。

神の正義でなければ、本当の神の利益や国益は現象化せず、神の利益でなければ、また神の正義もあらわれない。

正義がなくなれば、利益もなくなり、利益がなくなれば、また正義もなくなる。

統一がなくなれば、矛盾もなくなり、矛盾がなくなれば、また統一もなくなる。

恣意を排して、事物や対象をそこにある通り、その通りに認識できればそれが「悟り」です。

正義に基づかない利益と国益は「悪魔の軍隊」であり、正義は失われて世界の腐敗のみがあらわれる。

これをヘーゲルは、かつて「腐った実存」と言い、歴史の全過程で過ぎ去り、なくなり、失われていくと言った。

神の正義の欠如した利益と国益は、「腐った実存」であり、「悪魔の軍隊」であり、本物の利益ではなく、「偽物の利益」であり、これが世界腐敗の原因の一つです。

西田哲学でいう「統一即矛盾」における「矛盾」は利益や快楽のことを指しておりますが、これは現代人が追っている「偽物の利益」のことを指しているわけではない。

本物の利益」のことを指して、これを「矛盾」と言い、神理の統一と矛盾は、統一即矛盾で統一と矛盾は一実在の両方面と言っている。

本物の利益」も「偽物の利益」も共通点は、それのみを追えば社会と世界に無限の矛盾と対立があらわれるという点は共通しています。

双方の相違をあげれば、「本物の利益」は神の心に基づいてしか現象化しませんので神理と一体ですから、これを「神の繁栄」と言います。

偽物の利益」の方は、神の心や正義と基本的に関係ありませんので世界に腐敗しかあらわさない。

現代社会がこれです。

偽物の利益」を追っているということです。

西田哲学で説かれる統一即矛盾とは、「偽物の利益」がもたらす矛盾を指しているのではなく、本物の神理と本物の利益は一つであり、本物の神理が統一であり、本物の利益が矛盾であり、この統一と矛盾は統一即矛盾で一実在の両方面と言っている。

ちなみに西田哲学で説かれる「平等」と「差別」も一般が認識しているところの「平等」と「差別」ではない。

これも「本物の利益」と同様、本物の平等と本物の差別を指し、これを平等即差別と言っている。

実在の根本的方式は一なると共に多、多なると共に一、平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具するのである : 西田幾多郎

平等即差別が実在の根本的方式であるが、どちらも真の平等と差別を指して実在の永遠の方式を読み解いている。

一般的に語られる平等と差別は、すべて物質にすり替えられた平等と差別を平等と差別と認識しています。

西田哲学は、そういった意味での平等即差別を言っているのではない。

人類は「偽物の利益」を追っているが如く、「偽物の平等」と「偽物の差別」を平等だとか差別だとか認識している。

これが悟り不足であり、霊的未熟です。

そう認識している者達は、西田哲学を読んでも、その最奥の哲学を決して理解できません。

偽物の利益」を追っている者が、「神の繁栄」を決して理解できないように、偽物の平等と差別を認識している者は、本当の平等と差別を認識できないのとこれは同じです。

現代人が追っている「偽物の利益」は世界腐敗しかもたらさないために、「神の繁栄」を理解することはできない。

偽物の利益」ではなく、「本物の利益」を理解し始めた時、「神の繁栄」の意味が分かる。

本物の利益」は、「本物の神理」と不可分であり、西田哲学はこれを言っている。

本物の神理」を統一とし、「本物の利益」を矛盾とし、この統一と矛盾は一つであり、一実在の両方面と説かれている。

利益や矛盾という同じ言葉を使用していても、この利益を「偽物の利益」とすり替えて読めば、西田哲学を読み誤ると同時に、理解もできない。

西田哲学では統一と矛盾の実在を捉えて統一即矛盾と言っている。

俗に宗教でよく言われる「神の繁栄」なるものは、この西田哲学における実在論の実践的展開を言う。

既存の宗教家が、よく「神の繁栄」を語るが、彼らは何も知らない。

繁栄の神学を語る者もいるが、彼らは「神の繁栄」の理念を知らない。

彼らは「偽物の利益」の繁栄のことを言っている。

西田哲学では、そういった嘘は説かれていない。

西田博士は知っていた、というより悟られていた。

神の繁栄」も「神の国」も「仏国土」も「全人類幸福化運動」も「多次元世界」も「三千世界の根源的改造」も、すべてはこの世界に編まれている基本の実在論を悟らずして創造することはできない。

ヘーゲル哲学と西田哲学を避けて通ることはできず、確かに独自で悟られる方もいるかもしれませんが、見たところこれを悟って「仏国土」だの「神の繁栄」だの「神の国」だの主張している者は見たことがありません。

過去もいません。

みな知らないということです。

これがゼウス神の庇護の下、説かれていくであろう。

本人も述べておられましたが、西田博士が出られたのは、今後の思想世界を広げていくためであり、その礎を築いてくれた方です。

彼のおかげで、かつての宗教家や哲学者が分からず、悟れなかった「神の繁栄や仏国土の造り方」、あるいは実在論やその他多くのことが理解されてくる。

明らかに一時代を画した哲学者であり、まさに前後裁断の哲学です。

西田哲学の前と後では時代が断ち切られている。

西田哲学の前では分からなかった多くのことが、西田哲学以後理解できるようになった。

一人残らずの人類救済法則も、西田哲学の宗教的応用に過ぎない。

かつてキリストが悟っていなかった一人残らずの全人類救済法則も西田哲学以降、理解できるようになった。

神約民主論」も、実は西田博士が導いてくれた思想です。

当初は、自由と平等を切って無関係にそれぞれを探求していたのですが、自由を徹底的に探究していくと神の存在に行き着いた。

別個で平等も探究しておりましたが、徹底的に探究すると神の存在に行き着きました。

私の中では自由と平等はバラバラに認識されていたわけですが、今でも覚えていますが、右肩の方からゆっくりと西田博士が降りてきて、何かニコニコと嬉しそうに笑っていた。

そして彼はこう導いたのです。

お前の中ではバラバラのようだが、お前の探究してきた自由と平等を結びつけてごらん」、と。

そこでハッと気づいた。

自由と平等には神の存在という共通点があり、この自由と平等の二大概念は、まさに民主主義の概念です。

この時、民主主義を進化させたことに気づいた。

おかげで全世界で、既に過半数を超えている民主主義の進化体制が生まれた。

ある意味、社会主義も進化させたかもしれない。

これで自由と平等も救われ、民主主義も進化させることができる。

こういう風に偉大な方々のご指導を得て、人間は偉大な思想や哲学を説くことができる。

その導きはすべて霊天上界から降りてくる。

今回はこれをはっきりとさせなければならないでしょうね。

これは今後も永遠に変わらないからです。

ニュートンの古典力学もアインシュタイン博士の相対性理論もすべて演繹法であり、天下るインスピレーションから来ている。

経済でも同じです。

売れるような良い製品は、すべてインスピレーションという形で心に啓示されてくる。

インスピレーションなくば古典力学はなく、相対性理論もなく、経済の繁栄もなく、学問や哲学の発達もない。

そのすべてのインスピレーションの源を霊天上界と言う。

無神論や霊天上界の否定など全く愚かとしか言いようがない。

その啓示と言う名のインスピレーションを偶然というならば、その偶然によって古典力学ができ、その偶然によって相対性理論が編み出され、その偶然によって科学が発達してきたと思うのでしょうか。

すべてが「偶然」である、と。

偶然、経済的インスピレーションが降りて偶然、経済的に豊かになり、偶然、音楽や絵画のインスピレーションが降り、その神の美が偶然、我々の心を豊かにしてきたと言うのでしょうか。

無神論や霊天上界の否定などまったく愚かとしか言い様がない。

すべてのインスピレーションの座標軸を明確にすること。

偶然、インスピレーションは降りるのではなく、霊天上界の位置から降りてくる。

政治、経済、哲学、科学、学問、医学、芸術、教育、宗教、これらすべてのインスピレーションは霊天上界から降りてくる。

霊天上界なくしてこの世は、何も発達しない。

天下るインスピレーションなくして学問も科学も哲学も教育も芸術も政治も経済も医学も何も発達することはない。

従ってこの地上界を衰退させたければ、人類に天下るインスピレーションの質と量を制限し、抑制すればいい。

その文明と世界は、必ず衰退していく。

逆から言えばこの地上界を繁栄させたければ、人類各人の生命に天下るインスピレーションの質と量を増加させればいい。

霊天上界の啓示は無限であり、渦巻いている。

これが降りるだけの生命、受け入れるだけの器、認識力の増加を教育によってその生命を造ればいい。

実は宗教では、これを「悟り」と言う。

随分、それましたが「救世の母体」については、またの機会にします。


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