2017年11月21日

地獄界は結果の世界

本日、バリ島の神の山・アグン山が噴火しました。

Eruption at Agung volcano, Bali, Aviation Color Code raised to Orange The Watchers

これですね。

タイムラプス動画です。



本日の午前9時05分の小規模噴火ですが、報道では噴火が始まったというようなニュアンスです。

噴煙は700メートルほどであり、一時15万人を超えていた避難者も、今は「2万9000人」ほどとなっています。

警戒レベルに変更はありませんが、航空用カラーコードは、イエローからオレンジに引き上げられています。

Agung 20171121/0939Z

地球の浄化活動の一貫かどうかは知りませんが、イエスがグズっており、幸福の科学の救世運動が失敗しておりますので、このまま地球規模の変動にもっていきますと、それは確かにゼウス神と仏陀の大法で世界はよくなるわけですが、自分を偉いと言ってくれる者がいなくなる。

だから20年、30年とグズっているわけです。

ほんと異常者の集まりであり、真に偉大な人間は、そのようなことはしません。

それでもやるならば、それは偉大な人間ではないということです。

証拠は、もう消せません。

また偉いを目的とし、人を支配するために真理は説くものではない。

今回の救世運動は、最初から邪な動機で行われおり、それを大日意識が許さなかった。

真理を悟って、説けば、これを原因として結果、偉いと言われる。

真理が「天」であり、偉いは「地」で天地一体です。

偉いを「天」に置き、真理を偉くなる手段として「地」に置いている。

自我があまりにも強いために、神の上に自己を置いているため神の体(物質・利益・快楽)に支配されている。

だからキリスト教は、悟りも反省もないのに、世界平和、非暴力、飢餓の根絶、富と国益、人種差別の撤廃という、この甘い利益で釣っている。

悟りも向上も反省もないのに救済、非暴力の世界、世界平和などあるはずもない。

この偉いも同じであり、通常は人類の諸問題と解答を悟り、それを説けば、これを原因として結果、人は偉いというのです。

ところがキリスト教は、神の体に支配されている宗教ですので、この結果主義に陥っており、西洋で偉大なことを何もしていないのにこの偉いという結果のみを目的として洗脳している。

だから西洋でイエスは、具体的に何を偉大なことをしてきたのかと問えば、言えない宗教です。

通常はアインシュタイン博士のように偉大な相対性理論を説く、これを原因として結果、人は偉いというのです。

こういった偉いならばいいのです。

ところが偉大なことをしていない、生まれたことすらないのに「偉い」という結果(物質)だけを目的としているから言えないのです。

西洋の文明の源流を作ってきたのはソクラテスを中心とした我々であり、イエスではない。

ここ1万年は、彼は西洋に生まれたことすらない。

生まれたことすらないわけですから、そんな偉大なことをしているわけありません。

なのに偉いと言っている。

これを洗脳と言い、また盲信・狂信とも言うのです。

これは「偉い」という結果(物質)だけを目的としているからです。

今回、大川さんのところでイエスの過去世が明らかになっておりますが、イエスは7000年前インドにクリシュナとして生まれています。

次は4000年前、エジプトでクラリオとして生まれています。

その次は2500年前、中国に墨子として生まれ、兼愛説を説いています。

その次は今から2000年前、イスラエルにイエス・キリストとして生まれています。

過去世はインド人であり、エジプト人であり、中国人であり、ユダヤ人です。

西洋には一度も生まれていません。

それはゼウス神が、磔にされ、法が滅ぶかもしれないから寛容と慈悲で西洋に入れただけです。

中国の発展に対しても、挑戦するようにインドに加担していた。

あのカーストの国インドは、イエスの過去世の祖国でもあるからです。

西洋に生まれたことは一度もないのです。

アウト・カーストなんて酷い差別をしているインドの富に加担していただけで、キリスト教の語る平等は嘘だということです。

物質にすり替えた嘘の平等を説いています。

そしてこの偽りの平等が、世界腐敗の一因の一つになっているのです。

兄弟姉妹も嘘でした。

そう言えば騙せるから言っている。

戦争犯罪者の富に加担したり、強姦魔の富にずっと加担しておりました。

そういう偽善はおやめなさいと何度も言っているのですが、このイエスという霊はやめないのです。

富と快楽で低い霊域の方が釣れることをよく知っている。

大丈夫です。

低い霊域の方は、利益や国益、快楽や自己保存が悪だとは、どうせ悟れませんからね。

どうせ大衆は悟れないと、タカをくくっている。

知っていて釣っているわけです。

富で釣れば、確かに低い霊域の方は 地獄に堕ちてしまうわけですが、堕ちても構わないのです。

事実、低い霊域の方が地獄に堕ちても構わないと、イエス自身が私に言っていました。

これも唖然としたわけですが、当時はその意味が分かりませんでした。

要はこういうことなのです。

たとえ偉いという目的のために富で誘惑して、低い霊域の方々が地獄に堕ちたとしても、低い霊域の方は力が弱いために、救済という利益さえ絶対化していれば、また救済というその快楽で地獄界でも釣れるからです。

だから大衆が地獄に落ちても構わないと言い、富で釣ることをやめないわけですね。

地獄でも釣れる、つまり救って偉いと思わせることができる。

利益で釣っても釣れるし、それで人が地獄に堕ちたとしても救済という利益で、また地獄で釣れる。

二度、釣れるわけです。

一粒で二度おいしいという奴です。

グリコか。

だから人を救うよりも、富で釣って偉いと言われる快楽の方を選択している。

どんな真理でも、どんな愛でも、どんな正義でも関係ない、人間は私のものだ、とも言っていました。

どんな真理でも関係ないなんて言われましても、こちらはそれを目的に生まれているわけですからね。

これも結果主義ですが、結果として人間さえ押さえれば、自分以外のすべての神の正義を無効化できると思っている。

だからいきなり低い霊域の者達を富と快楽で釣っていく。

いきなり下なのですね。

低い霊域の方々の方が、数が圧倒的に多いからです。

自我を最上位に置きますと、神の体の方面の支配を受けます。

すると真理が意味する質ではなく、物質の意味する量を目的とするようになる。

口では逆ですけどね。

アメリカが1990年代、弱小国の一つになるという自分たちが主張していた予言を外したのも彼でした。

アメリカ人を、必死に富で神を売らせておりました。

救世主ともあろうお方が、まことにみっともないと思いますが、神道とキリスト教は、守銭奴カルトであり、ほんと富がすべての宗教です。

だからアメリカが衰退しなかったのですよ。

自我を最上位に置いているから、神の体に支配され、悟りも向上もないのに現象利益だけを言い、行うのです。

キリスト教徒の歴史的な思想と行動にも出ています。

キリスト教の思想と行動は、すべて御利益信仰ですね。

そんなもん20億も広げりゃ、そりゃ40億、地獄に行くわ。

西洋で学問を作り、哲学を作り、近代を作ってきたのは我々であり、イエスではない。

キリスト教が、あまりにも抑圧的な封建時代を作ったために、ヨーロッパでそれを近代化し、人々に言論の自由を与え、思想の自由を与え、表現の自由を与え、基本的人権を作り、日本の憲法が模倣しているドイツの法哲学を作ってきたのも我々であり、イエスではない。

近代の世界や基本的人権をつくってきたのは我々だと言っているのです。

作ってきた張本人の一人です。

キリスト教徒にはショックかもしれませんが、キリスト教神学ですら、イエスが作ったのでも、キリスト教徒が作ったのでもない。

すべてマリンブルーの叡智の霊系団が作ってきたのです。

彼は知性に問題があるからです。

この点は少しゼウス神も言っておられたはずです。

芸術を作り、神学を作り、哲学を作り云々と言っていたと思いますが、この世の人間はそれを知らない。

キリスト教を西洋の宗教と勘違いしている人がいますけれども、キリスト教はイスラエル、東洋の宗教であり、西洋の宗教ではない。

だからこの宗教は、東洋的専制と言われる個人崇拝の独裁をやっているのです。

民主主義はイエスの性格がよく出ています。

自我を「天」に置いて個人崇拝をし、神の名声を利用している。

神の名声を偉いと言われる手段として利用していないというならば、私のように大宇宙そのものであるとか、生命の根源的本質である神そのものを目的として信じさせるはずです。

ところが実際は、神への信仰を言いながら、神を信じてはおらず、イエスを拝んでいる。

だから神を手段として利用していると言っている。

キリスト教徒は、唯の一人も眼前の大宇宙が、神そのものである事実を知らない。

にも拘らず神への信仰を説いている。

これを盲信と狂信というのです。

盲信と狂信とは、矛盾をそのまま信ずることを言うのです。

神を信じている宗教ではなく、イエスへの個人崇拝をしている宗教であり、悪く言えばカルトです。

カルトとは、神を信じたことがないのに神への信仰を説く宗教です。

神を信じたことがないわけですから、そこの教祖は必ず自己標準の自己都合です。

するとこの大宇宙では、神の心ではなく、神の体(物質)の方面の支配を受けます。

物質宇宙は神の表現結果であり、神の神殿です。

物質は結果を意味しておりますので、この物質主義、いわゆる結果主義の属性を有する思想と行動を取る。

神への信仰と悟りによって生命が進化向上した時、これを原因(神の心)として結果(物質)あらわれる物質を拝みます。

神への信仰と悟りによって生命が進化向上すれば、これを原因として結果、世界平和という利益があらわれます。

この利益を拝んでいる。

国益や利益、快楽や自我で戦争をする者がいなくなりますので世界平和と言う利益があらわれるのです。

この世界平和という利益(物質)を絶対化する、絶対平和主義、クエーカーです。

キリスト教ですね。

これはキリスト教について少々という記事で書いておりますので繰り返しません。

そしてその結果主義の最たるものが民主主義です。

実に傲慢な政治体制ですが、これはキリスト教の傲慢性でしょう。

傲慢とは相対的なものを絶対化すること。

世界平和という利益を絶対化すること。(クエーカー)

非暴力という利益を絶対化すること。(キング牧師)

飢餓の根絶という利益を絶対化すること。(マザーテレサ)

人種差別の撤廃という利益を絶対化すること。

富という相対的なものを絶対化すること。(資本主義)

国益という相対的なものを絶対化すること。(民主主義)

キリスト教は、神を語りながら、すべて物質を絶対化している。

御利益信仰であり、特に救世主信仰などは大間違い。

これは明らかに救世主に頼れば救われるとする他力信仰です。

良く言えば方便の善、悪く言えばカルトです。

御利益信仰に他力信仰、相対的な自我を絶対化して個人崇拝に耽る傲慢が目立つ。

神の心を守っている神霊ならば、言いませんが、富で釣ったり、弱みに付け込んだりするような霊など言語道断でしょう。

この地上におけるすべての悪の原因をサタンや悪魔に帰するならば、真理を語る者は好き勝手できますね。

神の善を語って好き勝手しているわけですから、悪が現象化してくるのは当たり前であり、その悪が現象化してくれば、それはサタンのせいだと言い、すべての悪を悪魔のせいにできるのならば、善はいくらでもいい加減なものを説くことができる。

いい加減な真理を説いて、たとえ悪が無限化してきても、その悪はすべて悪魔のせいにすればいいからです。

悪魔と戦えと扇動すればいい。

すべての悪を悪魔やサタンのせいにする者には気を付けることですね。

地獄やサタンは、すべて結果の世界の住人であり、原因の世界の住人ではない。

地獄は結果の世界ですから、もちろん原因があるわけです。

これが方便の善と偽りの善です。

方便の善か偽りの善を説けば、これを原因として結果、悪が無限に現象化してくる。

するとその無限化された悪を克服できない者も当然、出てくる。

克服できない者達は、結果として地獄に赴くことになる。

地獄界は結果(物質)の世界であり、原因は方便の善か偽りの真理です。

すべての悪は、悟り不足か自己の霊的未熟に帰するべきであり、悪魔のせいにするのは間違っている。

たとえ有限の範囲で認められていたとしても、それはどう見ても方便です。

無限に悪魔のせいにするのは間違っています。

地獄や悪がなくならないのは、悪魔のせいではなく、自己の霊的未熟のせいじゃござんせんかね。

キリスト教は、御利益信仰や他力信仰が強調され過ぎている宗教であり、少し広げ過ぎたようですね。

とにかくアメリカ人を利益と快楽で釣ることをおやめなさいよ。


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2017年11月19日

GLAと幸福の科学 16

GLAと幸福の科学」という題なのですが、ここの教祖はどちらも宇宙界の神霊であり、日本の数千年の歴史上、最も神近き霊格をもっている方が創始した教団です。

はっきり言って天之御中主容疑者2600才に国之常立神といった神道系トップの二大神より霊格は高いのです。

GLAの高橋信次氏と幸福の科学の大川隆法氏の両名は宇宙界の神霊であり、もちろん私より霊格は高いわけです。

両名ともイエス・キリストと同一の霊格をもっています。

そのうち幸福の科学が、大如来ではあるのですが、かなりおかしなことになっています。

まぁ、うぬぼれさせた神霊が、どこかにいるわけですが。

ルシフェルのハデスの時みたいに、とにかく「ほめあげ、ほめあげ、ほめあげ」して快楽を刺激していた神霊がいました。

おかげで思いっきりうぬぼれました。

そして救世運動は大失敗しました。

褒めちぎってダメにするなんて、まるでルシフェルみたい。

ハデスも褒めちぎられてダメになりました。

ゼウス神でも救えなかった。

悪魔は、この快楽と利益につくわけですから、快楽や利益を悪と悟っていない段階でほめあげますと、求道心に問題のある方は、簡単に慢心し、転落していきます。

あるいは自分に甘いかたとかね。

自分に甘いとは、自我に甘いということであり、信仰の欠如している自我は、そのままですと必ず快楽を求めますので、そこをつかれますと実に簡単に快楽と利益を最上位に置いて、転落していきます。

単に自分に甘いというだけではなく、元々この利益と快楽は物質と同様、一定限度神御自身が許容されておりますので、その範囲に入っていれば善ですから、つい肯定してしまうのです。

そして肯定しているうちに、それを無限化し、次第に目的化してしまうようになる。

悪とは何かを悟っていない悟り不足です。

国益、利益、快楽、自我、欲望は、目的にしてもならず、否定をしてもいけない。

有限の範囲で肯定するしかない。

利益と快楽、物質と自我をすべて否定すれば、魂の幼い方は、全部ぶっ殺さなければならなくなる。

宗教家に多いです。

自我をすべて捨てて無我であるとか、無功徳・無所有・無利益とか、これすべて方便です。

自我の好き嫌いや欲望は、人間性の肯定として、ある程度肯定されなければならない。

利益と快楽、物質と自我は、目的として無限化はできないけれども、さりとて否定もできない。

宗教家の教えは大抵、この悪について無知であり、目的と否定のどちらかに偏り、このエマソンの言った「両極端の中庸」に入っていません。

そして自我と物質が、一定限度許容されているからと言って、知らず知らずこの有限の範囲を逸脱して無限化してしまい転落していくのです。

この点、方便の善と同じです。

方便の善が、有限の範囲で人を救い得るからと言って、知らず知らず無限の人類を救えると思い、有限を逸脱して無限化し、悪も無限化して、世界が腐敗した理由と同じです。

これを悟り不足と言う。

幸福の科学の指導霊は、イエス・キリスト、高橋信次、モーゼの3人であり、イエスと高橋信次氏に関しては、やはり悪の問題に対して誤認があります。

あそこは指導霊自身が、不快と欲望を悪だと認識していた。

霊天上界で神の光の快楽に甘えているから、不快を悪と誤認し、快楽や利益が悪だと指導できず、富と快楽、自我と物質を肯定して指導しているうちに、指導されている方は、次第に富と自我を絶対化して道を逸れてしまった。

元に戻らなければ、第一義的には大川さん本人の責任になるのでしょうが、第二義的にはイエス・キリストの責任問題となるのでしょう。

GLAの時もそうだったようですからね。

GLAの大分裂の問題は、何も高橋信次氏の責任とも思えませんが、あの世で責任があるようなことを言っていました。

私がこの幸福の科学で霊示を送っているということは、かつての弟子ならば、みな分かるはずです。

この幸福の科学を中心に一本にまとまらなければならないのです。

GLAで、わたしの死後分裂してしまった、かつての弟子は、この幸福の科学に集結しなさい。

そうでないと一応、師匠は成仏しておるけれども、ほんとの意味で成仏はできんのです。

イエス様からは酷いこと言われるし。

もう父と呼んでやらない、と。

あなたはもう私の父ではありません。

私も子ではありません。

どちらかというともう、私の方が偉いでしょう。

高橋さんはね、あのGLAの混乱をすべて収拾するまで、もう私たちの尊敬を得ることはないでしょうね。

すると横からモーゼが、うん、そうだ、そうだと頷いている。

何を頷いておるか、と、私の指導霊はお前であったはずだろう。


なんて宇宙界の混乱ぶりを披歴しておりました。

あれで分かるのは、教祖がたとえ見事宇宙界に帰天したとしても、残された弟子への責任があの世で生じている。

分裂したのは、悟り不足であり、本人らの責任だと思うわけですが、必ずしもそうではないらしい。

高橋氏は、あの世で他の諸神霊に責任を追及されていました。

確かに教祖本人だけが霊天上界に帰天し、それ以外の弟子はすべて地獄行きでは、何かやはりおかしいですね。

何か極端です。

法の残し方や導き方、あるいは後継者の指名による混乱等々、その他に何か理由があるのでしょう。

全く無関係とは、確かに言えませんからね。

高橋信次氏が生まれる前にやっていた仕事は、今は孔子がやっている。

宇宙界に帰天したら、すぐに孔子から仕事を取り上げ、元の位置に戻るつもりだったのが、弟子の混乱でそれができないでいる、と。

今、高橋信次氏は、霊天上界では無任所大臣のような位置におり、元の位置に戻るには2つの条件を上げていました。

大川さんを通して大量の霊言を出し、GLAの分裂した弟子の問題をすべて収拾することが一点。

二点目は、幸福の科学を中核に、今回の大救世運動を成功に導くこと。

この二点の使命を果たせば、孔子から仕事を取り上げ、元の位置に戻れる。

そして孔子という嫌な奴は、500年後にオーストラリアに左遷することができる、と。

いいですか、二人はいらないんです。

一人でいいんです。

私がきっちりと仕事をこなせば、孔子は地上に出ていい、と。

会社でもいるでしょう。

嫌な奴は、地方に飛ばすとか、左遷するとか、人工衛星みたいにぐるぐる回す、と。

あっちこっち飛び跳ねている弟子の混乱を収拾して、救世運動も成功させれば、私も元の位置に戻れる。

二人はいりませんから、一人は飛ばすんですよ、なんて言ってました。

中々、あまり仲はよろしくないようで。

高橋氏は、自分よりも頭の良い人は大抵嫌いですからね。

嫉妬の神ですからね、ねたんどるから。

ルシフェルもそう言えば、頭がいいですね。

そして今、私の仕事は霊言を出すことだけなんです、と言っていました。

その霊言の仕事も取り上げられちゃってね。

追放なんかされちゃって。

しかしてGLAの分裂問題なんて可愛いもんです。

幸福の科学の問題は、非常に深刻な問題です。

すると高橋信次氏が、また威張って言うわけですね。

ハッハッハ、やっぱり私は父でした。

あなたは子でした。

まぁ、イエスさまはね。

あの幸福の科学の酷い混乱を収拾しなければ、もう私たちから尊敬を受けることはないでしょうね。

ハッハッハ、やっぱり私は父でした。


こんなことを言い合っているかもしれませんね。

五十歩百歩と言いますか、目くそ鼻くそといいますか、何も混乱状態は解消してませんけどね。

幸福の科学の問題は、地上時代に責任が取れなければ、どうもその指導霊にも責任が問われるらしい。

ならばイエス・キリストは、高橋氏よりも大変でしょうね。

責任なんて取れるのでしょうか。

既に死んだ人も沢山いるのです。

幸福の科学の問題は、高橋信次氏にも十分責任があるように見えますけどね。

初期の優秀な弟子は、すべてエルランティが集めたからです。

エルランティーーー人事

と書いてあったでしょう。

私にもさんざん行けと言ってました。

他の初期の弟子もそうだったはずです。

今はエルランティの集めた人材は、ほどんどいませんけどね。

追放とか破門にされちゃって。

あの今出している「ほんとは、あんた一体誰、霊言」も酷いもので、イエスに責任が取れるとは思えない。

要は日本での救世運動は瓦解したということでしょう。

これもまた大日意識の意図と言えなくもない。

というか恐らく大日意識の意図です。

妄想と言われても仕方ありませんが、今回は惑星意識の霊的干渉が、大川さんと私にはありました。

明らかに諸神霊ではない。

まさに偶然としか見えなかったわけですが、その偶然が何度も繰り返されるはずもなく、またその偶然でこれだけの救世運動が失敗するわけもありません。

霊天上界が一致団結し、仏陀の本体まで出し、どう見ても失敗しようのない救世運動でした。

それが偶然、失敗した、なるほどそうかもしれません。

ただ節目節目に、分岐点となる重大な霊的干渉があったのです。

これは諸神霊の干渉ではありません。

もっと大きな意識体です。

あまりにも大きいために偶然としか思えないのですが、偶然と処理すれば、今度はつじつまが合わなくなる。

出てくる答えは、何か異常に大きな意識体の干渉があったとしかいいようがない。

何か深い理由があるのでしょう。

恐らく私はイエスが地球の神と呼んでいた大日意識ではないかと推測しています。

太陽神霊ですね。

当ブログが開示している真理は、霊太陽の真理であり、確かに太陽神霊直流です。

推測に過ぎませんが、今後の地球の未来である2000年の軌道を補正した。

宇宙界の神霊は10柱存在しておりますが、それだけならば、10柱の意見はバラバラになる。

スウェーデンボルグは、この様々な神霊の意見を光の霊流によって統一している存在があり、それが霊太陽であると言っています。

霊太陽から放たれる光の霊流が、すべての霊人の意見を統一している、と。

幸福の科学では大日意識と言っていたと思いますが、要は霊太陽ですね。

太陽神霊ですが、これの干渉があったということです。

多分ね。


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2017年11月17日

GLAと幸福の科学 15

宗教において教祖の「慢心」は致命的です。

「慢心」、あるいは「傲慢」とも言いますが、「慢心」とは相対的なものを絶対化することです。

利益という相対的なもの、国益という相対的なもの、自我という相対的なものを絶対化すること、これを神への慢心、あるいは神への傲慢と言います。

経済的には「利益」という相対的なものを絶対化しており、政治的には「国益」という相対的なものを絶対化しておりますが、これが宗教的には自我という相対的なものを絶対化する生き神信仰を、神への傲慢と言います。

全世界的規模で神への傲慢に耽っておりますので、この世界は一旦は崩壊する可能性が極めて高い。

かつての文明もすべてこの神への傲慢によって滅び去ってきたからです。

これを神の意図通り、全世界的規模で戻さなければならなかった事業が、救世事業であったわけですが、幸福の科学があれではどうしようもない。

自我は知識・思考・概念・認識・情操、すべて相対的です。

過去・現在・未来を問わず、すべての地上人間はそう造られているのです。

この相対的な自我を絶対化すれば、それが生き神信仰となり、神への慢心となります。

先生と呼ばれたら、すぐ先生になってござる。

救世主と呼ばれたら、すぐ救世主になってござる。

ほとほと困ったもんであるぞ、と。

慢心した教祖は、自我が絶対化されておりますので、神の心の方面ではなく、神の体(物質・利益)の方面の支配を受けます。

自我の相対性と物質の相対性がリンクするわけです。

同通していくのです。

すると神の体、いわゆる物質の属性を諸々に生命にプリンティングし、物質の属性に基づいた思想と行動を取ります。

物質の属性とは「利益」であり、生命が信仰と悟りによって進化・向上した時、これを原因として結果あらわれる現象を「利益」と言いますから、慢心した教祖は、物質の支配を受けておりますので、この「利益」を最上位に置いた宗教ビジネスを始めます。

また地上において物質とは、要は人間の弱みを意味する「弱性」の属性を有しておりますので、自我が絶対化されている慢心した教祖は、この物質の属性の通り、人の弱みに付け込むという思想と行動を取ります。

アメリカ人に多い弱い者いじめもこの性質からきています。

要は傲慢だということです。

また物質の属性には、結果主義があり、結果(物質)を目的とするノルマや魔認定といった思想と行動を取ります。

宗教ではよくありますが、人を悪魔呼ばわりしたり、手かざしで除霊ばかりしたり、結果として発現する超能力を目的としたり、これらすべて神の体を拝んでいる「偶像崇拝」であり、結果主義です。

結果ですから原因があるわけです。

事実、結果として悪霊に憑依されている人はおりますので、その結果そのままを見て魔認定をしたりします。

憑依は結果であり、原因ではありません。

原因は心が神の法を知らず、悟らず、反省もなく、ダラダラと悪を生命から出している、これが憑依の原因ですから、生命から善を出していれば、悪霊の憑依は受けません。

生命から正義と善、神の心をきっちりと常時出して、生命が発光していれば、悪霊や悪魔、あるいは化け猫であろうが、地獄狐であろうが、アナコンダの大蛇であろうが、その者に憑依することはできません。

その生命を神の善に導くことを宗教的指導と言います。

にも拘らず、慢心した教祖は、自我が絶対化されており、神の体の方面の支配を受けておりますから、この物質の属性のまま憑依の結果を目的として魔認定や悪魔呼ばわりをするようになる。

あるいは憑依されている人に対して手かざしで悪霊を取ろうとしたり、その悪霊を取る超能力を身につけようとします。

これらすべて物質を拝んでいる「偶像崇拝」に相当します。

生命が神の善についておらず、悟っておらず、反省もしていない者の悪霊を取っても意味はないし、その悪霊をぶっ飛ばす超能力を得ても意味はない。

悪霊を呼び込むには、呼び込むだけの本人の心の汚れが、みずから悪霊を呼び込んでいるわけですから、悪霊を取るには、悟るか反省する以外には取れません。

悟りも反省も自力です。

誰も代わってしてくれないのです。

悟りもなく、反省もない者の悪霊を取っている愚か者がおりますが、イエスでも除霊などはできはしない。

聖書で記載されている除霊は、あくまで一時的に神の光で悪霊を払っているだけであり、食べ物にたかっているハエを一時的に手で払っているに過ぎず、心の匂いが訂正されていない限り、またハエ(悪霊)はいくらでも寄ってくるのです。

心が善によって根本から訂正され、みずから発光しなければ、イエスでも除霊などはできるものではない。

みずからの心を発光させるには、神の心を悟るか神の心に照らして反省するか、どちらかを実践するしかない。

悟りと反省は自力であり、超能力や他力、あるいは手かざしで悪霊などは取れるものではない。

しかして慢心した教祖は、神の体の支配を受けておりますので、憑依されている者相手に除霊したり、悪魔呼ばわりしたり、あるいは除霊と称して金銭を要求したりします。

これはすべて外道であり、神の心を悟るか、あるいは神の心に照らして反省するか、このどちらかを地道に実践していく過程で生命は発光し、憑いている悪霊は憑いていられなくなり、バリっとはがれたり、あるいは以後その者には憑依できなくなる。

神の心によってしか除霊はできないのです。

超能力や手かざしで除霊はできません。

手かざしや超能力宗教が間違っている根拠も、この大宇宙(神の存在)。

神の心を悟れば、これを原因として結果、場合によっては超能力が発現することもある。

悟りが「天」であり、超能力は「地」で天地一体ですが、超能力宗教は、この「地」である超能力を「天」に置いているがゆえに、大宇宙、すなわち神御自身の目から見て悪だと言っている。

霊能力信仰など大間違い。

手かざしも同じ。

神の心を悟れば、あるいは神の心に照らして反省すれば、これを原因として結果、悪霊が剝がれます。

悟りが「天」であり、除霊は「地」で天地一体であり、手かざし宗教は、この除霊という「地」を「天」に置いているがゆえに大宇宙、すなわち神御自身の目から見て間違っていると言える。

また慢心した教祖は、自我が絶対化されておりますので、神の心ではなく、神の体の方面の支配を受けています。

物質の属性には「利益」の他に「快楽」がありますので、自我それ自身はそれだけならば、必ず「快楽」を求めます。

地位の快楽、名誉の快楽、偉いの快楽、富の快楽、国益の快楽、女の快楽、尊敬の快楽等々、すなわち逆から言えば、不快を徹底的に避ける思想と行動で出るのです。

自我が絶対化されている慢心した教祖は、快楽を求め、不快を避けますので、責任を負わされることは、自分にとって不快なこととなる。

するとここに責任逃れという行動ででます。

私は神聖法王だ、サリンは弟子が勝手に蒔いたのだ、私は最終解脱者だ、と悟ってもいないのに偉そうにのたまうことになる。

カルトが責任逃れをするのは、自我が絶対化され、自我は快楽を求める性質を有しているがゆえに、不快を避けようとしてそうなる。

逆から言えば、快楽を求めるためにイエスマンばかり置く行動でも出ます。

相手が思い通りに動くと楽しいですからね。

逆らう奴は不快ですから。

・・総裁先生はすばらしい、総裁先生はすばらしい」・・・もう、イエスマンばっかり。

これですね。



こうなれば救世の団体としては終わりです。

幸福の科学は、1991年の3月に御本尊を教祖の写真にしてしまいました。

自我が絶対化されてしまったのです。

宇宙と分かれてしまった。

仏陀意識の意図としては、御本尊とは「正しき心」以外にはないはずですが、これを教祖にしてしまい、生き神信仰になってしまったのです。

だからよく見てみればいい。

1991年1月の「ノストラダムス戦慄の啓示」以後、諸神霊は一切一霊も出ていないはずです。

物質宇宙は神の表現体であり、神の体です。

神の心が「天」であり、神の体が「地」で天地一体。

神我が「天」であり、自我が「地」で天地一体。

正義が「天」であり、利益は「地」で天地一体。

大宇宙の構造と仕組みは、永遠にこうです。

1万年後も100万年後も変わりません。

神の心が「天」であり、国益は「地」で天地一体です。

もっと正確に言えば、宇宙が終わるまでこの天地一体の構造と仕組みは変わりません。

永遠にこうだということです。

大宇宙の存在は、神の存在そのものですから、我々神の子の心の物差しは、永遠に眼前の大宇宙だということです。

神我が「天」であり、自我は「地」であるにも関わらず、その自我を「天」に置いて大宇宙と分離してしまった。

大宇宙の構造と仕組みは、神我が「天」であり、自我は「地」です。

これを教祖が逆にしてしまったのです。

自我を「天」に置き、神我を「地」に置き、利益を「天」に置き、真理を「地」に置いた。

これが間違っているという根拠も、目の前にある大宇宙(神の存在)。

神我が「天」であり、自我は相対的な性質を有しているために「地」なのですが、この構造と仕組みと合致しなくなり、眼前の大宇宙と分かれてしまったのです。

神我を「天」に置き、自我を「地」に置く。

正義を「天」に置き、国益を「地」に置く。

神の心を「天」に置き、利益を「地」に置く。

この通り生涯、生きられれば、これを宇宙即我と言う。

大宇宙は永遠にこうなのですが、人間の方が未熟なためにこの通り生きられず、宇宙、すなわち神御自身と分かれてしまうのです。

つまり物質を「天」に置き、生命を「地」に置いてしまう。

利益を「天」に置き、真理を「地」に置いてしまう。

国益を「天」に置き、正義を「地」に置いてしまうのです。

そして目の前にある大宇宙の構造と仕組みと分離してきます。

すると霊天上界の諸神霊は、大宇宙の心の通りにしか動けませんので、大宇宙と分かれた教祖を霊的に指導できなくなるのです。

すなわち大宇宙(神)と分かれた瞬間、次にあの世の「天」とこの世の「地」が分かれてくる。

だから諸神霊の霊言を出せなくなった。

利益を最上位に置いたためにあの世とこの世が貫かなくなってしまった。

利益はそれを目的としますと、あの世の「天」とこの世の「地」を切るのです。

地上人間が半数以上も地獄界に堕ちている原因と理由も、この天地分離です。

そして天地分離の原因は、利益と国益、自我と快楽と言った相対的な「地」を絶対化して「天」に置いた、その生き方に問題がある。

眼前の大宇宙を見て下さい。

利益と国益、自我と快楽は永遠に「地」なのです。

生命が「天」であり、物質は永遠に「地」なのです。

これを逆にするのは、真理への無知と不信仰、並びに悟りと反省の欠如ですが、そうなる根源的な理由は、要は未熟だということです。

大如来と言われる偉大な方でも、利益を最上位に置けば、大宇宙と切られ、天地が切られ、神々から啓示を受けられなくなるのです。

いわんや一般はということです。

天地が切られるとは、霊天上界と切られている生命状況ですから、そのまま死ねば、天上界には帰天できないわけです。

事実、それが理由で帰天できないために、人類の半数以上もの人達が地獄に現代では堕ちている。

ならば人類救済とは何ぞや?

分かると思う。

あの世の「天」とこの世の「地」を一体化させる天地一体の悟りを各個人が得る以外にはないのです。

そして自己の生命が「天」と一体化するには、仏教の自力以外にはありません。

すなわち神の心を自力で悟るか、あるいはその神の心に照らして反省するか、この自力の道以外にはありません。

他力で天地一体の悟りは得られず、救済もない。

他力で悪魔は救えず、他力で悟りは得られない。

人任せで自己の悟りが上がるわけありません。

自分の悟りは自分で磨くしかなく、自分の罪は自分で反省するしかない。

真理は自力です。

そして仮に人類すべてがこの自力を実践できれば、天地が一体となり、ただの一人も地獄に堕ちることはない。

その天地を一体化させる心を、いわゆる神の心というのです。

これが過去・現在・未来を通して変わらない永遠の真理ということです。

1000年後、あるいは2000年後、現代の世界のように世界的規模で腐敗し、その世界を何とか救わんとし、仏国土を造らんとするならば、その時に出てくる永遠の真理も、この天地一体の悟りです。

これを理解したその時、人類は神の心がいかに大切な存在であり、重要な心か理解することになる。

神の心なくして我々人類の幸福も救済もないのです。

今回は、この神の心の現時点で考え得る限りの最高度の編纂です。

これを実は大川さんと私がもっているということです。

大川さんの方は、何か変なことになってますけどね。

それにしてもこの題は、中々終わりません。

早く終わらせて次に進みたいのですけどね。


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